大山平一郎
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大山平一郎(おおやま へいいちろう、1947年? - )は、京都生まれの指揮者、ヴィオラ奏者である。サンタバーバラ室内管弦楽団の音楽監督、大阪シンフォニカー交響楽団ミュージックアドバイザー・首席指揮者
[編集] 略歴
ヴィオラ奏者として、カザルス音楽祭、クフモ室内楽音楽祭、ヨハンセン国際音楽祭、沖縄ムーン・ビーチ音楽祭、ブレッシャ・ベルガモ音楽祭、ノースウェスト室内楽音楽祭、サラソタ音楽祭、キャラモアー室内楽音楽祭などに出演した。また、リン・ハレル、ギドン・クレーメル、ラドゥ・ルプー、余美幸、アイザック・スターン、アレクサンダー・ソウプテルなどと共演した。
1979年から13年間、ロサンジェルス・フィルハーモニック(当時の首席指揮者はカルロ・マリア・ジュリーニ)の首席ヴィオラ奏者を務めた。指揮者としては、1981年、クロスローズ科学芸術学校のユース・ストリング・オーケストラの指揮者となり、1983年にはサンタバーバラ室内管弦楽団の音楽監督に任命された。1986年、ロサンジェルス・フィルハーモニック(当時の首席指揮者はアンドレ・プレヴィン)の補助指揮者に任命され、以後4年間、ロサンジェルス・ミュージックセンター、ハリウッドボウル、ロサンジェルス・フィルハーモニック会館などでコンサートを行った。
また、テキサス州のラウンド・トップ音楽祭の首席指揮者、ワシントン州シアトルのノースウェスト室内管弦楽団の音楽監督、ニューヨーク州のカユーガ室内管弦楽団の音楽監督、サンタフェ室内楽音楽祭、ラ・ホイヤ室内楽協会のラ・ホイヤ夏の音楽祭の芸術監督などを務めている。また、30年以上カリフォルニア大学の音楽教授も務めていた。
1990年、リヨン歌劇場での同歌劇場管弦楽団、ロンドンのロイヤルフェスティバル・ホールでのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、ヨーロッパでの指揮者デビューを果たした。以来、サンディエゴ交響楽団、ボルティモア交響楽団、シンガポール交響楽団、ニューメキシコ交響楽団、オハイオ室内管弦楽団、ブランデンブルク交響楽団、ハレ管弦楽団、札幌交響楽団、京都市交響楽団、桐朋学園管弦楽団、ニューヨーク室内管弦楽団、ロサンジェルス室内管弦楽団、オハイオ室内管弦楽団、ミルウォーキー室内管弦楽団、ロイヤル・アカデミー・シンフォニエッタなどを指揮した。ウェット・インク音楽祭では、サンフランシスコ交響楽団を指揮し、1992年、アジア・アメリカ交響楽団を率いて日本での演奏旅行を行った。また、1999年から5年間、九州交響楽団の常任指揮者を務めた。
現在、大阪シンフォニカー交響楽団ミュージックアドバイザー・首席指揮者
[編集] レビュー
「大山平一郎のプログラムは感覚と感受性のモデルとなるだろう。彼は、慣れ親しんだ曲に新しい命を吹き込む方法を知っており、ホールにいた人々はあたかも初めて聴いた曲であるかのように指揮をする。」サンタバーバラ・ニュースプレス
「コンサートは、大山平一郎によって、独特な活力と優美をもたらされた。」サンタバーバラ・インディペンデント