大江卓
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大江 卓(おおえ たく 1847年 - 1921年9月21日)は明治、大正期の政治家、実業家。土佐藩幡多郡柏島(現在の大月町)出身。
長崎に赴いた後、京に出て1867年土佐陸援隊に入り倒幕運動に参加。このとき坂本龍馬、中岡慎太郎、陸奥宗光らと知り合う。翌1868年、神戸外国事務所にて事件処理にあたる。
1872年には、高知出身ゆえに新政府内で冷遇されていた大江の外交知識の豊富さを知っていた神奈川県令(知事)陸奥が、神奈川県参事に引き抜いた。大江は陸奥の片腕となり、明治になって間もない神奈川や横浜の街の土台づくりに奔走し、近代日本を維持するための警察制度を作り上げた。買われた外交知識も遺憾なく発揮し、「マリア・ルーズ号事件」発生時に事態を重く見た外務卿副島種臣から権令(副県知事)に抜擢され、清国人奴隷232人を、自ら裁判長となって解放した。その後、陸奥のあとを継いで県令となる。
1877年、土佐挙兵計画に参画、獄中生活を送る。1890年の第1回衆議院議員総選挙において衆議院議員選挙当選、立憲自由党に属し、予算委員長に就任。「民力休養(減税)、政費節減(予算削減)」を掲げる民党の意見を尊重し、軍艦建造費など八百万円以上を削減する大幅な軍縮予算案を査定し、これを可決させた。次の選挙で落選した後は1892年に政界から実業界入りし、東京株式取引所会頭に就任。1899年、朝鮮京釜鉄道建設に関わる。1912年、帝国公道会を設立し、日本の人権運動の礎を築く。1914年、出家して天也と名を改め、家と妻子を捨て黒染めの衣ひとつで全国を行脚し、部落解放運動に専念した。1921年、胃癌のため死去。