天羽英二
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天羽 英二(あもう えいじ、1887年9月21日 - 1968年7月31日)は日本の外交官。元外務省事務次官、元情報局総裁。
徳島県生まれ。旧制徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1912年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。
1912年外交官及び領事官試験合格、外務省入省。広東総領事、在ソヴィエト連邦日本大使館参事官等を経て、1933年外務省情報部長、1937年駐スイス特命全権大使兼国際会議帝国事務局長、1939年駐イタリア特命全権大使、1941年外務省事務次官、1943年情報局総裁。1945年巣鴨拘置所入所、1947年公職追放。
二男の天羽民雄も外交官で、外務省大臣官房審議官、駐ユーゴスラビア大使、青山学院大学教授等を歴任した。
「天羽日記」は外交・情報戦略の裏面を記した第一級史料とされる。