奥平氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥平氏(おくだいらし)は、日本の氏族の一つ。
戦国時代に三河北東部の作手地方を中心に活動した奥平氏は赤松氏の一族といわれる(別の説として児玉党の一族とも)。今川氏や織田氏、松平氏、武田氏を経て、徳川氏(松平より改姓)に臣従した。
家伝では上州に発祥地を持つという。その後、上州の所領を放棄して、三州に新天地を求め転住したというが、理由は詳らかではない。
三河山間部の小豪に過ぎなかった奥平氏が陽の目を浴びるようになったのは元亀年間(1570~1573)から。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで家運を開いた奥平信昌は、徳川家康の長女(亀姫)の婿に認められる。婦人との間には4男1女に恵まれるが、早世した1子を除き、分家を「徳川家御連枝」として興す事を許されるなど、信昌の子達はいずれも家康の外孫として厚遇された。
江戸時代には大名となって、廃藩時は、豊前国中津を領した。
信昌の末男松平忠明の直系のみが、松平姓を名乗り続けた(奥平松平家)。
[編集] 系図
太線は実子、細線は養子。
貞久 ┃ 貞昌 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 貞勝 貞直(日近城主) ┣━━━━━━━━┓ ┃ 貞能 貞治 貞友 ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━┓ 信昌 於ふう(信昌先室) 松平定勝室 ┣━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 家昌 松平家治 松平忠政 大久保忠常室 松平忠明 ┃ ┃ 忠昌 奥平松平家へ ┃ 昌能 | 昌章 ┃ 昌成 ┃ 昌敦 ┃ 昌鹿 ┃ 昌男 | 昌高 ┣━━━┓ 昌暢 昌猷 ┃ 昌服 | 昌邁
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 日本の氏族 | 奥平氏 | 赤松氏