守谷藩
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守谷藩(もりやはん)は、下総国相馬郡(現在の茨城県守谷市守谷)に存在した藩。藩庁は守谷城。
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[編集] 藩史
徳川家康の家臣として甲斐国巨摩郡切石1万石を領していた土岐定政(菅沼定政)は、小田原征伐後に家康が関東に移されると、北条軍に加わって改易された下総相馬氏の旧領である下総国相馬郡の内に移されることとなった。これが守谷藩の立藩である。慶長2年(1597年)3月に定政は死去し、後を次男の土岐定義が継いだ。定義は元和3年(1617年)に摂津国高槻藩に加増移封となったため、ここに守谷藩は廃藩となり、その所領は天領となったのである。
[編集] 歴代藩主
[編集] 土岐(とき)家
譜代。1万石。