安藤光彰
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安藤 光彰(あんどう みつあき、1959年1月5日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。美浦トレーニングセンター・菊川正達厩舎所属。かつては笠松競馬場所属の騎手だった。愛知県一宮市出身。ファンからは「アンミツ」の愛称で親しまれている。同じくJRA騎手の安藤勝己は実弟で、こちらは「アンカツ」と呼ばれている。
[編集] 来歴
出生時~幼少時の姓は「北浦」。中学3年時に両親が離婚、母親に引き取られ「安藤」姓となる。両親は後に復縁したが、復縁時には父親が安藤籍に入った為、本名は現在でも「安藤光彰」である(安藤勝己『安藤勝己自伝 アンカツの真実』、エンターブレイン、2003年、12-13頁参照)。
初騎乗は1976年10月20日。翌10月21日には早速初勝利を挙げる。笠松競馬時代は小井戸金一厩舎に所属し、これまでに地方競馬において2818勝(JRA移籍時)を挙げており、笠松競馬のみならず地方競馬全体を代表する騎手として長年活躍してきた。
JRAにおいては1992年6月27日、第2回中京競馬場3日目第8レースでベッスルエースに騎乗したのが初騎乗(12頭立ての4着)。しかしその後JRAにおいては勝ち星に恵まれず、初勝利は7年後の1999年12月19日、第3回小倉競馬場第12レースのラパシオン。地方競馬所属時代のJRA通算成績は12勝(うち重賞2勝)。
2005年12月に地方競馬再興会議での合意に基づき新たに創設された短期所属騎手制度により、2006年1月10日から3月10日まで大井・高橋三郎厩舎、同年5月1日から6月30日まで船橋・渋谷信博厩舎に所属するなど地元以外の競馬場にも積極的に参戦してきた。
JRAの騎手免許試験も受験してきたが、2006年度の試験を突破(1次試験からの受験であり、1次試験からの合格は赤木高太郎、柴山雄一に継ぎ3人目)し、2007年3月1日からはJRAの騎手として騎乗している。栗東所属の弟に対し、美浦・菊川厩舎に所属する。
なお、2007年3月現在、安藤がJRAの平地騎手としては最年長騎手となる(これまでは本田優が平地最年長ジョッキーだったが、安藤と入れ替わるように調教師に転身した)。