山下しげのり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下しげのり(やました-、1968年10月29日 - )は、日本のお笑い芸人。本名:山下栄緑(やました しげのり)。お笑いコンビ・ジャリズムのツッコミ担当。香川県高松市出身。吉本興業東京本社所属、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校10期生。
[編集] 略歴
- 1981年3月、高松市立太田南小学校卒業
- 1984年3月、高松市立太田中学卒業。
- 1987年3月、大手前高等学校卒業。
- 1991年3月、摂南大学卒業。
- 1991年4月、NSC入学。
- 1991年11月、渡辺鐘と「山下・渡辺」結成。
- 1992年5月、「山下・渡辺」から「ジャリズム」に改名。
- 1998年12月、ジャリズム解散。解散後、芸名を「山下栄緑」から「山下しげのり」に改めた上でピン芸人となり、ルミネtheよしもとの新喜劇などで活動する。
- 2001年、元「桧・友野」の友野英俊と「ガリッパナ」という漫才コンビ結成。2003年解散。
- 2003年、松本人志の命名により、芸名を「山下しげのり」から「鼻油千右衛門時定 ~後の~」に一時期だけ改名。その後も吉本新喜劇では鼻油名義で舞台に立っている。
- 2004年2月、渡辺鐘と「ジャリズム」再結成。舞台公演のほか、『笑いの金メダル』などの番組に出演。
- 2004年11月、中部日本放送(CBCテレビ)のバラエティ番組『ノブナガ』内で「写真マラソン」への挑戦がスタート。2006年3月19日(CBC)放送分にて名古屋城が出てゴール。
- 2005年6月 プロミスのCMに出演中。
[編集] 概要
時折、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にも出演するが、全くウケないスベリキャラとして定着している。「やましたパッカ~」(顔の前で両手を広げる)「ヒクネチ」(コマネチよりも低い位置に腕を添えるギャグ)というギャグを持っているが、ウケたことがない。
また、七変化に挑戦したが、周囲の不安が的中し、結果は11000円(歴代9位)だった。挙句の果てにはプロデューサーの菅賢治がキレだす始末だった。
通称・ヤッシー。
松本人志や今田耕司など、細かいことに気のつく先輩とつきあいがあるが、対極の性格で鈍感・無神経を絵に描いたようなキャラクター。
山下の無神経さを象徴する出来事に、芸人仲間たちと毎年出かけていた、とある山村でのエピソードがある。帰りしなに芸人連中を追いかけてきた地元の女子学生に向かって山下が「この、田舎もん!」と言い放った。追いかけてきた女子学生はその途端立ち止まり、号泣し出してしまった。以降、その村の住民から「来年から山下を連れて来るな」という運動が起こったという。当の山下は「ウケると思って言った」と証言しており、自分が悪いことをしたとは全く感じていない様子であった。
鼻が大きく脂で表面がヌルヌルになるため、散々そのことを松本にネタにされている。曰く「日本鼻百選に選ばれろ」、「お前は鼻がでかいくせに鼻の穴がちっちゃいねん」。また、鼻の横のところがすごく臭い。宮迫博之は「うんこみたいな臭い」と言っていた。「やりすぎコージー・土曜婦人」でその噂を検証するため、鼻の横を指でこすって他の出演者にかがせたところ、全員「うんこの臭いがする」と顔をしかめていた。
また、生まれてこのかた「ファミコン」を触ったことがなく(本人曰く「持っていなかった」)、「やりすぎコージー」の企画の中で、37歳にして初めて「スーパーマリオブラザーズ」をプレイした映像が公開された(初公開はジャリズムのライブ)。1-1ステージの最初に出てくるクリボーにジャンプのタイミングを外して体当たり、スーパーキノコをジャンプで避ける(クリボーと勘違いしたのか)、スタッフに注意された場所で落下するなど、小学生でも滅多に見られないような初心者っぷりを発揮。持ちネタよりもウケていたのは言うまでもない。
無類の巨乳好きであり、2丁目劇場でジャリズムが全盛だった頃、テレビ番組の中で『お乳の国』なるコーナーを担当。 女性視聴者に電話でバストサイズを聞き、自分の好みの大きさであれば、独断でお乳の国の会員にしていた。 電話を募集する際には、「何をとは言いませんが、挟めるくらいの大きさがないとだめですよ。」とご丁寧に念押しまでしていた。
2007年年明けにテレビ東京系で放送された「2007年最も売れる吉本NO.1伝説」にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2007年最も売れない芸人1位」(最下位)に選ばれた。その際、司会の今田耕司に本気でなぐさめられていた。