山中巽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山中 巽(やまなか たつみ、1944年1月4日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
中京商業高等学校のエースとして、1961年の甲子園に春夏連続出場し、夏はベスト8。なお、当時のチームメイトには、林俊彦(南海)、江藤省三(巨人他)、相羽欣厚(巨人他)、木俣達彦(中日)などがいた。
翌1962年に中日ドラゴンズに入団。豪快なフォームから繰り出される重い直球を武器に、2年目の1963年には15勝(6敗)をマークし、最高勝率(.714)のタイトルを獲得。1965年にも12勝(2敗)、勝率.857で再び同タイトルを獲得するなど、権藤博の後の中日のエースとして活躍した。
その後内臓疾患を患い、1970年のシーズン終了後に26歳の若さで現役を引退。引退後はスコアラーを経てフロント入りし、営業部主任などを務めた。オールスター出場1回。
[編集] プロフィール
- 投打 右投右打
- 出身地 愛知県
- 守備位置 投手
- 背番号 21(1962~70年)
- 球歴 中京商高 - 中日(1962~70年)
[編集] 通算成績
233試合 61勝 49敗 34完投 7完封 1038.2投球回 542奪三振 防御率2.97
[編集] タイトル
- 最高勝率 2回(1963、65年)
[編集] エピソード
- 1968年5月11日の中日対巨人戦で、長嶋茂雄が相手チームの度重なる敬遠策に抗議して、バットを逆さに構える珍事を起こしたが、その時の相手投手が山中であった。(なお、山中はそのまま王を敬遠)。
- 1968年8月24日と翌25日の対産経戦では、リリーフとして登板し、それぞれ9回と10回にいずれも豊田泰光に代打サヨナラ本塁打を浴びている。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本の野球選手 | 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 | 1944年生 | 愛知県出身の人物