岐阜県立武義高等学校
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岐阜県立武義高等学校 | |
設置者 | 岐阜県 |
学区 | 美濃学区 |
設立年月日 | 1920年(大正9年) |
校訓 | うまず、おくせず、たくましく |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
学科 | 普通科 商業科 情報処理科 |
所在地 | 〒501-3101 美濃市泉町2-3 |
電話番号 | 0575-33-1133 |
外部リンク |
岐阜県立武義高等学校(ぎふけんりつむぎこうとうがっこう)は、岐阜県美濃市にある公立高校。美濃学区でも有数の歴史がある伝統校である。
目次 |
[編集] 学校概要
- 創立 1920年(大正9年)
- 学科
- 全日制普通科
- 全日制商業科
- 全日制情報処理科
- 所在地 美濃市泉町2-3
- 校訓
- うまず (何事に対しても根気よく努力する)
- おくせず (どのような困難に対しても敢然と挑戦する)
- たくましく (心身ともに力強く生きる)
- 制服
- 男女共にブレザーが指定されている。
[編集] 沿革
- 1920年 岐阜県立武義中学校設立
- 1923年 岐阜県武義中学校に改称される
- 1928年 校歌が制定される
- 1933年 東海学生射撃主催の第6回中等学校射撃大会で三連覇を達成し、明治神宮競技会に出場し9位となる
- 1948年 4月・学制改革によって岐阜県武義高等学校となる
- 1948年 8月・岐阜県立武義高等学校に改称される
- 1949年 普通科・商業科が設置され、男女共学となる
- 1950年 定時制課程と津保谷分校が設置される
- 1960年 津保谷分校が岐阜県立中濃高等学校として独立する
- 1979年 校訓が制定される
- 1982年 定時制が募集停止となる
- 1985年 定時制が閉校となる
- 2003年 Aキューブ・スクールに指定される
[編集] 特色
[編集] 教育面の特色
2年次より文型と理系に別れ、きめ細かな対応をおこなっている。毎週月曜日の7限に週末課題に対するテストが行われるほか、夏期休業時や土曜日の補習、サテライト授業などを通して学力の向上が図られている。
商業科では簿記会計などの専門教育に重点が置かれているほか、日商簿記検定などの資格取得にも力が注れている。
情報処理科ではコンピューターを駆使した事務処理技術・知識の獲得を目的とし、また商業科と同様に資格取得にも重点が置かれている。
[編集] 学校行事
毎年9月には武義高祭と呼ばれる文化祭が行われるほか、体育祭、芸術鑑賞やスピーチコンテスト・マラソン大会が行われている。
[編集] 部活動
運動系の部活動ではでは2006年に男子団体が、2005年は女子団体・個人が全国高校総体に出場を果たした弓道部が全国レベルの実力を誇り、東海大会に毎年出場している。また、バレーボール部(男子)が県大会上位にくいこむ実力がある。文化系では吹奏楽部が岐阜県アンサンブルコンテストなどで優秀な成績を修める活躍を見せている。
- 運動系部活動
- 陸上競技部
- 水泳部
- 柔道部
- 剣道部
- 弓道部
- バスケ部
- バレーボール部
- テニス部
- 硬式野球部
- サッカー部
- ソフトボール部
- 文化系部活動
- 科学部
- 総合編集部
- 書道部
- 美術部
- 合唱部
- 茶華道部
- 写真部
- 簿記部
- ワープロ部
- 情報処理部
- 吹奏楽部
[編集] 進路状況
普通科の生徒は多くが進学を希望しており、そのうち7~8割程度の生徒が四年制大学へと進学する。学区内には普通科設置高校が少ないため進路は国公立大学から専門学校まで多岐にわたっている。毎年15~30名程度の生徒が国公立大学へと進学する。商業科・情報処理科の生徒も進学希望が多く、就職する生徒は学校全体で毎年15~30名程度である。
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- 主な専門学校合格者数 岐阜県立衛生専門学校 6名 岐阜県立多治見看護専門学校 1名 ほか
- 主な就職先 日本郵政公社 関信用金庫 三菱日立ホームエレベーター 名古屋鉄道 フェザー安全剃刀 ほか
[編集] 出身者
山本重雄 - エスワイフード(世界の山ちゃん)創業者。