岩崎弥之助
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岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、嘉永4年1月8日(1851年2月8日) - 明治41年(1908年)3月25日)は、三菱財閥の2代目総帥。男爵(長男・小弥太死後の1945年爵位返上)。岩崎弥太郎の弟として土佐国(現在の高知県安芸市)に生まれた。
[編集] 人物
兄弥太郎の事業を助けるとともに、2代目総帥として三菱の多角化に尽力。銀行、倉庫、地所、造船などの事業を興した。三菱の総帥の座を甥の岩崎久弥(弥太郎の長男)に譲った後に第4代日本銀行総裁となった。早苗夫人(後藤象二郎の長女)との間に長女・繁子(松方正義の次男で外交官の松方正作と結婚)、長男・小弥太、次男・俊弥、三男・輝弥の3男1女をもうけた。小弥太は言うまでもなく三菱の4代目総帥で、俊弥は旭硝子の創業者。輝弥は分家し、子安農園の経営に当たった。なお輝弥の次男・英二郎(弥之助の孫でドイツ語学者)は北原白秋の長女と結婚している。
弥之助は学問を好み、蔵書家、美術収集家としても知られた。重野安繹を師として漢学を学び、重野の研究を助けるために始めた古典籍収集は、宋・元の刊本をはじめとする貴重書の宝庫となっており、これを収蔵するために弥之助が自邸内に設けたのが重野を文庫長とする「静嘉堂文庫」である。また、弥之助は古典籍に加えて書画、茶道具、刀剣などの古美術を多数収集した。これらの収集は長男・小弥太に引き継がれ、1940年に小弥太が創設した財団法人静嘉堂文庫(東京都世田谷区岡本)に寄付された。国宝・重要文化財を含む数多くの古典籍と古美術品からなる文庫の所蔵品は、1977年より一般公開されており、現在では静嘉堂文庫美術館として常設の美術館になっている。
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