岸本才三
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岸本 才三(きしもと さいぞう、1928年(昭和3年)5月15日 - )は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組最高顧問、岸本組組長、旧中山組舎弟頭。
1928年、神戸市で生まれた。志願して海軍航空隊員になったが出撃前に終戦を迎えて復員し、神戸市役所の職員となった。その在職中の1955年(昭和30年)頃、幼馴染みだった中山組組長・中山美一(三代目山口組若中)から舎弟盃を受けて山口組に傘下入りし、1964年(昭和39年)に役所を退職するまで“二足の草鞋”を履き続けた。
1973年(昭和48年)12月、中山の引退に伴い、中山組舎弟頭から三代目山口組(組長・田岡一雄)の直参に昇格した。田岡家の信任も厚く、1981年(昭和56年)7月23日に亡くなった田岡の密葬では最高幹部に交じって棺を担ぐことを許された。
1984年(昭和59年)6月、四代目山口組(組長・竹中正久)の発足に伴い本部長兼若頭補佐に就任した。
山一抗争終結後の5代目争いでは若頭・渡辺芳則(二代目山健組組長)を強く推し、1989年(平成元年)5月に渡辺を組長として五代目山口組が発足すると、舎弟に直り総本部長に就任した。1997年(平成9年)に山口組が舎弟頭(益田(啓)組組長・益田啓助)と若頭(宅見組組長・宅見勝)を相次いで失うと、翌1998年(平成10年)10月からは若頭代行及び舎弟頭代行をも兼任し、若頭長期不在の山口組において重責を担った。