巡恋歌
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巡恋歌 | ||
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長渕剛 の シングル | ||
リリース | 1978年10月5日(巡恋歌) 1992年10月28日(巡恋歌'92) |
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ジャンル | ポピュラー | |
レーベル | 東芝EMI (エキスプレス) | |
レビュー | ||
最高順位1位、累計売上68万枚 |
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長渕剛 年表 | ||
雨の嵐山 (1977年) しゃぼん玉 (1991年) |
巡恋歌 (1978年) 巡恋歌'92 (1992年) |
俺らの家まで (1979年) RUN (1993年) |
巡恋歌(じゅんれんか)は、日本のミュージシャン、長渕剛の再デビューシングルである。
1978年10月5日に東芝EMI (エキスプレス)よりリリースされた。
1992年に再レコーディングされて再リリースされた。
長渕剛の2度目のデビューを飾った、フォークソングである。どちらかといえば、演歌、歌謡曲に近いニュアンスの曲でもある。
儚い女の恋心を歌った悲恋の曲であり、長渕剛の再デビュー曲にして代表曲。ライブでもほとんど欠かさず演奏される。ライブではオリジナルと違い、バックバンドなし、ギターとハーモニカだけで歌う。エンディングのハーモニカの早吹きと激しいギターが非常に印象的である。
目次 |
[編集] 解説
ポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)の九州大会で優勝し、1977年にビクター・レコードよりリリースされたシングル、『雨の嵐山』によってデビューした長渕だったが、レコード店を回りキャンペーンを行ったり、デパートの屋上でアイドルの前座として歌わされたり、名前も「ながぶち・ごう」と変えられ、本人の理想とはかけ離れた活動を余儀なくされ、限界を感じた長渕は故郷である九州に帰ることになってしまう。その後、再起をかけてこの曲は作られた。
再びプロのミュージシャンを目指していた長渕は、同じ過ちを繰り返さぬように、当時のフォークシンガーにとっては憧れの的であったフォーライフ・レコードに「巡恋歌」の含まれたデモテープを送るが、採用されなかった。その後も数々のレコード会社、果ては嘗て『雨の嵐山』において挫折を喫したビクターにも送るが、全く採用されず、最後に専門家による判断を仰ぐため、ヤマハ音楽振興会へと送った。その後ヤマハから歌手デビューする女性アイドルに「巡恋歌」を歌わせたいと連絡が入り、「自分はまだデビューもしていないし、自分で歌いたい」と伝えると、ヤマハ側から再度ポプコンへの出場を提案される。そして、見事九州大会で優勝、また静岡県のつま恋で行われた本選会でも入賞し、ヤマハ側から絶賛され、漸く東芝EMIより再デビューするに至った。
また、1992年に再レコーディングされ、『巡恋歌'92』として再発売されている。当時、テレビドラマやCMなどのタイアップによるヒット曲が横行していた事に対し、曲の力だけでどれだけ売上を上げられるかにこだわり、ラジオの放送以外全くのノン・タイアップで、オリコンの集計で見事67.5万枚を売り上げた。
南海キャンディーズの山崎静代(しずちゃん)がお笑いをやる前に、アイドルオーディション(モーニング娘。)でこの曲を歌った。たけしの誰でもピカソでもこの歌を熱唱した。
[編集] 収録曲
[編集] 1978年版
- 巡恋歌
(作詞・作曲 長渕剛 / 編曲 鈴木茂) - 帰り道
(作詞・作曲 長渕剛 / 編曲 鈴木茂)
[編集] 1992年版
- 巡恋歌'92
(作詞・作曲 長渕剛 / 編曲 瀬尾一三、長渕剛) - 俺らの家まで('92 TOKYO DOME Live Version)
(作詞・作曲 長渕剛 / 編曲 瀬尾一三、長渕剛)
[編集] 外部リンク
オリコン週間シングルチャート第1位 1992年11月9日付 |
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前作: DREAMS COME TRUE 『晴れたらいいね』 |
長渕剛 『巡恋歌'92』 |
次作: 稲垣潤一 『クリスマスキャロルの頃には』 |
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