モーニング娘。
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モーニング娘。(モーニングむすめ)は、日本の女性歌手グループ、女性アイドルグループである。ほとんどの楽曲の作詞・作曲及びプロデュースをつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。
1990年代末から2000年代前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇っており、現在もシングルがオリコンチャートベスト10にランクインする人気を保ち、活動を続けている。
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目次 |
[編集] メンバー
[編集] 2007年4月時点のメンバー
- 吉澤ひとみ(4期、2007年5月6日までリーダー)
- 高橋愛(5期、2007年5月7日よりサブリーダー)
- 新垣里沙(5期)
- 藤本美貴(6期、2007年5月6日までサブリーダー→2007年5月7日よりリーダー)
- 亀井絵里(6期)
- 道重さゆみ(6期)
- 田中れいな(6期)
- 久住小春(7期)
- 光井愛佳(8期)
- ジュンジュン(8期、留学生)
- リンリン(8期、留学生)
※これは加入順(同期は生年月日順)で記載しているが、この順序は公式サイトや公式出版物などでメンバーの名前を並べる時に通常使用される順序である。但し、かつて保田圭がサブリーダーであった時期と藤本美貴がサブリーダーになってからは、サブリーダーが2番目になる様に順序を入れ替えている事もある。
[編集] 卒業及び脱退メンバー
このグループでは、公式にグループから離れる事を「卒業」または「脱退」という。卒業(脱退)の発表は、公式ホームページでの発表や記者会見などマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに知らせている。音楽グループにおいてしばしばけんか別れ的な場合に使用される「脱退」という表現に対し、「卒業」は明日につながるという様な前向きな意味合いの言葉である。
初期には、ほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されているASAYAN公式サイトなどは現在でも脱退という表現で統一されている)、2001年以降は公式には主として卒業という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されている事も多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。例外として、2005年4月の矢口の場合は、写真週刊誌FRIDAYにおいて俳優・小栗旬との交際が報道された事を「理由」とし、公式ホームページには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている[1](ただし、ラブマの法則を取り上げた2005年5月11日放送の「トリビアの泉」(フジテレビ系)など、TV番組などによっては「卒業」と扱われる事もあった)。また、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず、「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっている事がある。
なお、「卒業」という表現自体は、最初にグループを離れた福田の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されていた。
中澤以降のメンバーは、卒業(脱退)後ソロまたはグループとして、そのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続しているが、紺野のみが学業専念による完全な脱退となっている。また、小川はハロー!プロジェクトに籍を残して海外留学している。
卒業(脱退)の発表は、後藤以前は1~2ヶ月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口を除いて卒業の半年から1年前になった。そして、紺野・小川・吉澤は3~4ヶ月前と、それまでの慣例よりはやや短くなった。
「卒業」の発表と、その後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ASAYAN」その他TV番組において大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって、娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にして来た。しかし、本来は「モーニング娘。は早く卒業する事を目標とすべき枠である方が良い」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、籍はハロー!プロジェクトに残し、モーニング娘。との共演も多く完全な自立とは言えない状況から、芸能界を引退した紺野と芸能活動を休止している小川を除き、中澤以降の卒業はハロー!プロジェクト内での年中行事と化した「定期人事異動」的色彩が濃い。
名前 | 発表日 | 卒業・ 脱退日 |
卒 年齢 |
卒業興行を行った場所 | 期 | ハロプロへの在籍状況 |
---|---|---|---|---|---|---|
福田明日香 | 1999年1月17日 | 1999年4月18日 | 14 | 東京厚生年金会館 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
石黒彩 | 1999年12月5日 | 2000年1月7日 | 21 | 大阪厚生年金会館 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
市井紗耶香 | 2000年5月7日 | 2000年5月21日 | 16 | 日本武道館 | 2期 | ハロプロからも卒業 |
中澤裕子 | 2001年3月7日 | 2001年4月15日 | 27 | 大阪城ホール | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
後藤真希 | 2002年7月31日 | 2002年9月23日 | 17 | 横浜アリーナ | 3期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
保田圭 | 2002年7月31日 | 2003年5月5日 | 22 | さいたまスーパーアリーナ | 2期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
安倍なつみ | 2003年7月27日 | 2004年1月25日 | 22 | 横浜アリーナ | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
辻希美 | 2004年1月3日 | 2004年8月1日 | 17 | 国立代々木競技場第一体育館 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍後、加護の契約解除に伴いソロに移行 |
加護亜依 | 2004年1月3日 | 2004年8月1日 | 16 | 国立代々木競技場第一体育館 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍後、活動休止中に契約解除 |
飯田圭織 | 2004年5月23日 | 2005年1月30日 | 23 | 横浜アリーナ | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
矢口真里 | 2005年4月14日 | 2005年4月14日 | 22 | 下記理由のためになし※ | 2期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
石川梨華 | 2004年5月23日 | 2005年5月7日 | 20 | 日本武道館 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍 |
紺野あさ美 | 2006年4月28日 | 2006年7月23日 | 19 | 国立代々木競技場第一体育館 | 5期 | ハロプロからも卒業 |
小川麻琴 | 2006年4月28日 | 2006年8月27日 | 18 | 新宿コマ劇場 | 5期 | ソロとしてハロプロに在籍(活動休止中) |
吉澤ひとみ | 2007年1月2日 | 2007年5月6日予定 | 22 | さいたまスーパーアリーナ | 4期 | ソロとしてハロプロに在籍予定 |
※矢口のモーニング娘。のメンバーとしての最後のステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。
[編集] 歴代リーダー
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 中澤裕子 | 結成~2001年4月15日 |
2代目 | 飯田圭織 | 2001年4月16日~2005年1月30日 |
3代目 | 矢口真里 | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 吉澤ひとみ | 2005年4月15日~2007年5月6日(予定) |
5代目 | 藤本美貴 | 2007年5月7日~(予定) |
[編集] 歴代サブリーダー
2001年4月16日、飯田圭織が第2代リーダーに就任するに合わせて創設された。初代に保田圭が就任した。
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 保田圭 | 2001年4月16日~2003年5月5日 |
2代目 | 矢口真里 | 2003年5月6日~2005年1月30日 |
3代目 | 吉澤ひとみ | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 藤本美貴 | 2005年4月15日~2007年5月6日(予定) |
5代目 | 高橋愛 | 2007年5月7日~(予定) |
- サブリーダーに関してはなぜ創設されたのか公表されていない。当初は、モー娘。誕生以来グループを率いて来た中澤のグループを脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田への不安視が創設の背景にあると思われた。2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。しかし、一方で飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の4月16日に記者会見にて発表された事[2]、サブリーダーに今一人の初期メンバー安倍なつみが就任しなかった事などを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で最年長であった保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。
- 保田就任以前(中澤リーダー時代)はサブリーダーという役職は公表されていない。石黒在籍時は、彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされる事はあったが、サブリーダーであるとは明言されていなかった。
- 保田と吉澤は就任前にサブリーダー就任の発表があったが、矢口と藤本の場合は就任時点で発表されず、テレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中にサブリーダーである旨が語られただけであるため、就任した日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
[編集] グループ編成
[編集] メンバー構成推移
このグループの最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。
メンバー数が流動的で、5人(結成時)~16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間(1999年4月~8月及び2005年4月以外)に20代と中学生のメンバーが同時にいる。2007年3月1日時点の平均年齢は17.89歳である。
[編集] 推移年表
日時 | メンバー | 増減 | 人数 | 平均年齢 |
---|---|---|---|---|
1997年9月7日結成 | 【1期】中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香 | - | 5人 | 17.40 |
1998年5月3日 | 【2期】保田圭・矢口真里・市井紗耶香加入 | +3 | 8人 | 16.75 |
1999年4月18日 | 福田明日香脱退 | -1 | 7人 | 18.29 |
1999年8月22日 | 【3期】後藤真希加入 | +1 | 8人 | 18.00 |
2000年1月7日 | 石黒彩脱退 | -1 | 7人 | 18.14 |
2000年4月16日 | 【4期】石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依加入 | +4 | 11人 | 16.55 |
2000年5月21日 | 市井紗耶香脱退 | -1 | 10人 | 16.60 |
2001年4月15日 | 中澤裕子卒業 | -1 | 9人 | 16.56 |
2001年8月26日 | 【5期】高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙加入 | +4 | 13人 | 15.77 |
2002年9月23日 | 後藤真希卒業 | -1 | 12人 | 16.92 |
2003年1月19日 | 【6期】藤本美貴・亀井絵里・道重さゆみ・田中れいな加入 | +4 | 16人 | 16.56 |
2003年5月5日 | 保田圭卒業 | -1 | 15人 | 16.47 |
2004年1月25日 | 安倍なつみ卒業 | -1 | 14人 | 16.86 |
2004年8月1日 | 加護亜依・辻希美卒業 | -2 | 12人 | 17.42 |
2005年1月30日 | 飯田圭織卒業 | -1 | 11人 | 17.64 |
2005年4月14日 | 矢口真里がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 | -1 | 10人 | 17.40 |
2005年5月1日 | 【7期】久住小春加入 | +1 | 11人 | 16.91 |
2005年5月7日 | 石川梨華卒業 | -1 | 10人 | 16.70 |
2006年7月23日 | 紺野あさ美卒業 | -1 | 9人 | 17.78 |
2006年8月27日 | 小川麻琴卒業 | -1 | 8人 | 17.75 |
2006年12月10日 | 【8期】光井愛佳加入 | +1 | 9人 | 17.78 |
2007年3月15日 | 【8期】(留学生)ジュンジュン・リンリン加入 | +2 | 11人 | 17.82 |
2007年5月6日 | 吉澤ひとみ卒業予定 | -1 | 10人 |
[編集] モーニング娘。の結成日について
モーニング娘。の結成日について、公式資料、マスコミ報道などで異なった日付が書かれている事がある。これは、「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、
- 1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日[3]
- 1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分のASAYAN放送日)。公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としている事が多い[4]。
- 1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
- 1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定した事が公表された日(ASAYAN放送日)
- 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
- 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日[5]
- 1998年1月28日 - メジャーデビューの日
などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは、「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場はフジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある[6]。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。
[編集] 追加メンバーの加入日について
追加メンバーの加入日についても、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれている事がしばしばある。これも、結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。
「加入日」として解釈しうる日としては、
- 加入が実際に決まった日
- 加入が本人に伝達された日
- 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
- 初合流したコンサート等の日
- 初参加したCDの発売日
といった日がある。このうち1及び2については公表されない事が多いため、通常は3以下のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としている事が多い。
加入が後になればなるほど合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは後になればなるほどコンサートに出演した時に覚えておく必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけ、あるいは1曲だけ参加する事が行われる事がある。6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。
期 | 公表日 | お披露目日 | コンサート正式合流日 | 初参加CD発売日 |
2 | 1998年5月3日 | - | 1998年7月12日※1 | 1998年5月27日 |
3 | 1999年8月22日 | 1999年8月23日 | 1999年9月19日 | 1999年9月9日 |
4 | 2000年4月16日 | - | 2000年5月20日 | 2000年5月17日 |
5 | 2001年8月26日 | - | 2001年10月21日※2 | 2001年10月31日 |
6(藤本) | 2003年1月7日 | 2003年5月5日 | 2003年5月31日※3 | 2003年7月30日 |
6(除藤本) | 2003年1月19日 | 2003年5月5日 | 2003年7月19日 | 2003年7月30日 |
7 | 2005年5月1日 | 2005年5月5日 | 2005年7月10日 | 2005年7月27日 |
8 | 2006年12月10日 | 2007年1月27日 | 2007年3月17日 | 2007年2月14日 |
8(留学生) | 2007年3月15日 | 2007年5月6日 | 未定 | 未定 |
- ※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
- ※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日である。
- ※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日である。
[編集] 加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成
「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである」と公式に表明されている。
このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたという事が公式に発表されている。
しかし、1997年~1999年の頃に出演していたTV番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。
- メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があった事(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
- グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前(都道府や87)が挙がっていた事。メンバーの入れ替えを前提としているならばその様な名前は候補として挙がる事はない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
- 1997年~2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたTV番組「ASAYAN」において、福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放映されなかった事(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
- メンバーが加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所・スタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点。[7]
- この事が2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れた事。
但し、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKANや森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして、所属事務所社長(当時)山崎直樹の指示によって、メヌードを参考とし、グループを結成したという経緯が掲載されており、さらにASAYANはモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報をASAYANに提供していたかなどの疑問がある。また、ASAYANは過剰な演出が多い事で知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験した事が異なる事は、1999年に出版されたASAYAN公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに、福田一郎は音楽評論家であり、物書きを本職としているため、タレントとは違いメディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかった様に、ASAYANに出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく、関係者のほんの一部である事は間違いない。従って、福田一郎がASAYANに出演していなかったという理由だけで、関係性を否定する事はできない。さらに、メジャーデビューのわずか3ヶ月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると、遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も、福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であった事で信憑性が高い事や、故人の前で、卒業&現役メンバー全員でLOVEマシーンを披露している事、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎がモーニング娘。と深く関わりがあった事は間違いない。
いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田・石黒・市井)を補充する名目でASAYANに出続けられた影響は大きい。Say a Little Prayerやdosなど同じく同番組出身のグループやアーティストがモーニング娘。メジャーデビュー以前にデビューしていたが、デビュー後に同番組から離れると次第に話題性が乏しくなり、CDなどの売り上げが低下し、最終的に活動停止・解散に陥ったものがあった。これに対し、追加メンバーオーディションを行う事で『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になった事が、番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。
[編集] 宝塚歌劇団との比較考察
公式的な場でも関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界において、メンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スター(アイドル)を輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。さらに2003年4月放送の「エンタの神様」(日本テレビ系)の中で、モーニング娘。と宝塚が一緒になって『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』を歌うという夢の共演を行った際に、つんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分がある事を語っている。同番組では、モーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは、元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるとも語られていた。また、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組やおとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も、宝塚と共通している。そして、宝塚の退団は多くのマスコミが取り上げるため(「歌舞伎は襲名披露で稼ぎ、宝塚は退団公演で稼ぐ」と言われる)、その様な部分も共通する。 また、2006年8月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトが宝塚と組み、手塚治虫原作「リボンの騎士」のミュージカル化をした際も、ミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が、「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントをしている。
しかし、結成から「ザ☆ピ~ス!」(2001年)のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られる事はなかった。下記に挙げる様に「期」や「組」は2002年以降に見られる。
- 1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は、単に「新メンバー」又は「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、また2000年4月追加の第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた[8]。「期」と呼ばれるのは2002年募集の第6期からであり、その時点から遡って1期~5期と呼ばれるようになった[9]。
- 幾つかのグループ(ユニット)に分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニ、ミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。
- 2000年~2001年当時、安倍なつみはユニットには所属せず、矢口と加護は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
- 均等にグループを分割して「組」と分けて活動すると発表したのは、2003年1月28日[10]である。
- 「卒業公演で稼ぐ」と言われる点だが、「LOVEマシーン」のヒットから2002年あたりまではコンサートのチケット発売、即ソールドアウトとなっており、卒業公演で稼いでいたとは言えない。
[編集] 他のアイドルグループ等との比較考察
宝塚と比較される以前から、モーニング娘。の比較対象として幾つかのアイドルグループが持ち上がっていた。[11]
ジャニーズ(SMAP)
- モーニング娘。及びハロー!プロジェクトは、活動状況やグループ展開などの戦略的売り込み方法など共通点が多々あるため、女性版ジャニーズと捉えられる事が多い。その中でも特にSMAPはモーニング娘。と「国民的アイドル」の名を二分していた状況もあり、比較される事が多かった。
- 相違点としては、SMAPは1996年5月末に森且行が脱退してもメンバーを補充しなかった事、グループに属したままでのソロ活動が頻繁である事が挙げられる。
美少女クラブ21(現・「美少女クラブ31」)
- 芸能プロダクションのオスカープロモーションと比較される事が多い。
- 宝塚と同様に女性ばかりの集団で、芸能界において10代女性アイドルが多数在籍する存在であるというのが要因だ。その中で、2003年にモーニング娘。に対抗して「美少女クラブ21」が結成された。グループ結成の記者会見席上において、オスカー側の関係者が質疑応答で、「将来はモーニング娘。の様なグループを目指し、グループ作りをして行きたい」と発言している事や、「森田クラブ」「ティーンエイジクラブ」「D.D.D」などのグループ内ユニット展開の他、フットサルチーム「表参道BEAUTY」などの活動展開は明らかにモーニング娘。を意識した戦略であり、オスカープロモーションがモーニング娘。に対して非常に強いライバル意識があると考えられ、それらの共通性が比較対照とされる要因である。
- モーニング娘。と美少女クラブの相違点はグループとしての活動よりもソロでの活動割合が多い、歌手活動を重視で活動するモーニング娘。に対し、女優又はグラビア重視で活動しているという活動状況である。
おニャン子クラブ
- 1985年~1987年に活動していた女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がある。
- おニャン子からの工藤静香や国生さゆりなどのソロデビュー、「うしろゆびさされ組」などのグループ内ユニット展開が共通点である(おニャン子のグループ内ユニット展開は、宝塚の影響ではなく、モデルにした「オールナイターズ」からの流れである)。
- 相違点としては、おニャン子は番組企画のテレビ局主導グループで番組のアシスタント的役割であったのに対し、モーニング娘。は所属事務所主導グループである点(そのため、おニャン子の場合は夕やけニャンニャン(フジテレビ系)の番組内でしか生きる術がなく、番組終了と同時にグループ活動を終えている)。出身がオーディション番組とバラエティ番組の違い(初めから歌手デビューを目指して番組に参加したモーニング娘。とバラエティ番組のアシスタント的立場から始まったおニャン子の目的意識の違い)、パフォーマンスのクオリティーの違い(つんく♂とおニャン子の仕掛け人の一人である秋元康の2人で行われた対談で、秋元はおニャン子は女子校の放課後をイメージさせた素人の延長線上の素人集団だったが、モーニング娘。は歌唱力、ダンス、仕事に対する意識など、完成されたプロの集団であると語った)などが挙げられる。
- 2000年~2001年頃までおニャン子と比較されていたが、第5期メンバーが加入した頃になると比較されなくなった。
- また、おニャン子と同様に秋元がプロデュースするグループで、素人性を売りにしている事などで、平成のおニャン子と言われるAKB48とも、夏まゆみが関係している事などで一部で比較される事がある。ただし、結成日が別冊宝島発売以後のため、同書籍には掲載されていない。
野猿
- 「サマーナイトタウン」や「抱いてHold On Me!」がヒットしていた1998年~1999年頃は、「うたばん」で野猿vsモーニング娘。対決を行っていたり、番組の企画でメンバーの入れ替えが行われたり、中澤のOL出身という経歴と野猿の番組スタッフ出身という、一般人から芸能人へ転身したところが似ていると石橋貴明が発言していたりと、番組内で野猿と比較される事もあった。
- 相違点としては、野猿は男性グループである事、とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)で企画された番組企画のグループである事、とんねるず以外のメンバーは芸能活動と並行して番組スタッフを続けた事である。
ザ・ドリフターズ
- ナンシー関(故人)は、自身のコラムの中でザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)と1999年~2001年あたりのモーニング娘。を比較していたことがあった。中澤裕子をいかりや長介、安倍なつみを加藤茶、後藤真希を志村けんに例えたもので、2001年の中澤卒業を、いかりや長介の居ないドリフになるという指摘がファンサイトなどでなされていた事、福田明日香の脱退後に勢いに陰りが見えたモーニング娘。が後藤真希加入で息を吹き返したところが、ドリフの荒井注脱退・志村けん加入と重なるという指摘である。その後の中澤卒業・第5期メンバー加入及びナンシー関の逝去により、ドリフとの比較はなされなくなった。
東京パフォーマンスドール
- つんく♂は、1990年代初期から中期に掛けて主に原宿ルイードを拠点に活動していたアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」(篠原涼子、仲間由紀恵、穴井夕子などを輩出したグループ、以下、TPD)のライブ会場(通称:ダンスサミット)に何度か足を運ぶなどTPDに魅了されていた事、当時シャ乱Qのメンバーとして、TPDがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した際に、将来はTPDの様なグループを作りたいと発言している事からも、TPDがモーニング娘。に与えた影響は少なくはないという意見もある。
- 共通点としては、モーニング娘。の様にグループ内ユニットとして「ゴルビーズ」「原宿ジェンヌ」など他にも複数のユニットがあった事、メンバーのソロデビュー展開、卒業と新規加入が行われ、研修生などが存在した事、ダンスや歌唱力などプロとして高いレベルのエンターテインメントを表現していた事、姉妹ユニットの存在などである。また、モーニング娘。同様TPDも宝塚から影響を受けていると言われている。
- 相違点としては、TPDはレコード会社主導のグループで、メンバーの所属事務所がバラバラだった事、TPD専用のイベント会場を持っていた事などである。
- なお、東京パフォーマンスドールの姉妹ユニットである大阪パフォーマンスドール(OPD)からはメンバーの稲葉貴子がハロー!プロジェクト入りしている。
SPEED
- モーニング娘。と同様に同世代の少女達の憧れの対象として、多少活動期間が前後するが、「SPEED」との比較も1998年~2000年3月の解散辺りまであった。
- 当時は高いレベルでダンスパフォーマンスをするグループ同士として、ライバルとしての比較も多かったが、年齢的にも近く、飯田圭織がSPEEDのメンバーである上原多香子と東京都立代々木高等学校定時制で同級生だったといった事などもあって、中澤裕子などが後に語っている様にメンバー間は仲が良かった様である。
- また、ハロー!プロジェクトと沖縄アクターズスクールは多数の女性アーティストやダンスグループ、スクールや研修生の存在など組織的に似ている事から比較対照に挙がる。
読売ジャイアンツ
- 「エース」や「4番打者」など野球用語などがしばしば使用されるモーニング娘。であるが、つんく♂が読売ジャイアンツのファンである事で、ジャイアンツとの比較をする事がある。安倍なつみが脱退した当時、安倍の脱退を長嶋茂雄がジャイアンツを引退した時にだぶらせ、一つの時代の区切りかもしれないと語っている。また、後藤真希の脱退後に藤本美貴と6期メンバーが加入することが決定した当時、「うたばん」(TBS系)で司会の中居正広と石橋貴明が、後藤の脱退を松井秀喜のFA移籍、5期メンバーの加入をロベルト・ペタジーニの加入に例えている。またつんく♂は、現在のモーニング娘。は全員4番打者であるとも語っている。ジャイアンツとの違いとして、プロ野球の様にトレードやFA制度もないため、強引な戦力補強は行わず、ドラフト(オーディション)での補強しか行わないなどの相違点がある。
ピンク・レディー
- 多人数グループと2人組の相違はあるが、活動状況が類似している事で、昭和のASAYAN的なオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)をきっかけにデビューが決まった「ピンク・レディー」とも比較される。
- モーニング娘。と同様にオーディション番組がきっかけでデビューが決まっている経緯と、デビューまでの過程で番組内において厳しい試練が与えられ、それをクリアしなければデビューできないという大河ドラマ的な演出で視聴者を魅了していった点、メジャーデビュー以前にインディーズでシングルを発売している点、男女関係なく大人から子供まで幅広い支持層を得ていた国民的アイドルだった点、同世代の少女達の憧れの対象だった点、親しみ易い歌の振り付けを基本にしていた点、玩具から文房具、お菓子、食品、漫画など幅広いキャラクター商品展開などの商業的戦略が非常に酷似している点、ピンク・レディーは『UFO』、モーニング娘。は『LOVEマシーン』とそれぞれ誰もが知っているミリオン級の大ヒット曲(代表曲)を持っている点、モーニング娘。のつんく♂と同様にピンク・レディーの曲の作詞のほとんどを阿久悠1人で手掛けている点、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの振付師である夏まゆみと同様に、ピンク・レディーの振付を担当していた専属の振付師土居甫が居た事など、共通点が多い。
- 後にピンク・レディーとモーニング娘。が共演した際にピンク・レディーの2人(未唯、増田惠子)が「私達とモーニング娘。は似ている」とコメントしている。
- 相違点としては、ピンク・レディーの場合はメンバーが固定されており、メンバーチェンジなどは一切行われなかった事である。
- 中澤裕子は徹子の部屋出演時に、子供の頃、ピンク・レディーになるのが夢だったが、モーニング娘。になったことで、その夢を叶うことが出来たと語っている。
- モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの冠番組であるハロー!モーニング。(テレビ東京系)の記念すべき最初のゲストが末唯であった。
事務所の公式見解、そしてアイドル評論などから数多くのグループ編成に関する推察がなされているが、メンバーの入れ替えを常に前向きに捉えていく姿勢はモーニング娘。独自のものと言えるだろう。
[編集] グループ名の由来
『モーニングセットの様にお得感があり楽しめるユニット』という事で命名された。
なお、その他の候補としては、「87」(メンバー全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が東京「都」・北海「道」・京都「府」であり、「県」出身者が居なかったため)、「たこ焼きシスターズ」、「モーニングサービス」、「モーニング・ファイブ」などであった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし、最終的には「モーニング娘」が採用された。
[編集] 「モーニング娘。」の「。」について
- 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし「ASAYAN」でのユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示され、司会のナインティナイン・岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した(福田以外は感想はなく微妙な笑い)。
- TBS系の音楽番組「うたばん」で、「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に出演したフジテレビ系のバラエティ番組「ハッピーバースデー!」(1999年6月13日放送)での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いた事で画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子が「『。』は大事。」と語っている。
- シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に『。』が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
- モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
- 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられた事がある。
[編集] 「モー娘。」という略表現について
- メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」又は「むすめ」と呼ぶ事が多い。また、メンバーに関わらず、自らを「もーむす」と呼ぶ事は台本などで強制されない限り、まずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。
- 「モー娘。」という表記自体は、最初はファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
- 「モー娘。」という表記が一般的に使われる様になった以後にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使う事もある。
- モーニング娘。の熱狂的なファンの事を「モーヲタ」と呼ぶ。また、そのモーヲタは彼女らの事をモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。逆に「モーニング娘。」の事についてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人も居る。
- モーニング娘。、Morning Musume。及びモー娘。は株式会社アップフロントグループの登録商標(商標登録第4555529号 、第4566621号、第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」及び「モームスメ」(「モームス」でない事に注意)である。存続満了日は2012年(平成24年)(但し更新可能)。
[編集] 歴史
[編集] 誕生(1997年)
- 1997年9月7日、テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として、「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っている事などと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないかとする説もある。グループ名は同月14日放送分において「モーニング娘。」と決まった。
- 結成後はインディーズで活動を開始した。しかし、メジャーデビューを目指すにはシングル「愛の種」を手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪・心斎橋のHMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日のナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
- 楽曲の権利関係については、「愛の種」及び「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担する事と引き替えにモーニング娘。に関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して、2ndシングルの「サマーナイトタウン」以後の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
- アップフロントグループの山崎直樹会長は、後に「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1ヶ月で500万円の経費が掛かるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やす事にした。」と語ったとされている。また、この時に「モーニング娘。の音楽的な事はつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといった事はすべて私が決めていた。」と、当時のASAYANの演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行っており、一部で物議をかもした。[12]
- 最初の追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子が、その重大発表の内容は「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはその様な雰囲気があった事を伺わせる。[13]当初は人数を倍の10人にすると発表されたが、結果は3人追加の8人となった(ブレイク期に後述)。
- ブレイクすると共に急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたし、穴が開いたら自分で繕っていた。また、歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出る事もあった。また、ASAYANなどが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーも居ない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。
[編集] 1998年~1999年
- 1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。
- 1998年4月~6月に初主演ドラマ「太陽娘と海」(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。その間の5月に追加メンバーとして保田圭・矢口真里・市井紗耶香が加入し、27日に2ndシングル『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
- 1998年7月に、東京・渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)で初コンサートを行う。
- 1998年夏に初主演映画「モーニング刑事。~抱いてHOLD ON ME!~」(平家みちよと共演)が上映される。
- 1998年9月6日の新聞の番組表で、初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
- 続く3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』(同月9日発売)で初のオリコンシングルチャート1位を獲得した。またオリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で同年の第40回輝く!日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、またNHK紅白歌合戦も第49回で初出場を果たす。
- 1998年10月、最初の「グループ内ユニット」である「タンポポ」の結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
- 1999年3月から初の全国ツアーを行った。7都市・19公演で約4万人を動員した。
- 1999年1月、福田が学業優先を理由に脱退を表明して、4月18日のコンサートを以て脱退した。その福田脱退後しばらくは人気に陰りが見え、7月14日に鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売としてASAYANで煽られた6thシングル「ふるさと」ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
- しかし、9月には第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(同月9日発売)で再ブレイクし、ミリオンセラー(195万枚)となる。また、オリコンカラオケチャートでは当時の新記録である17週連続1位を達成した。18週目の1位を阻止したのがモーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その曲もミリオンを突破し、一気にスターダムにのし上がったのがこの時期だった。
[編集] 2000年~2001年
- 2000年に入ると、直後の1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると約123万枚の売り上げを記録した。その後、『ハッピーサマーウエディング』(5月17日発売)と『恋愛レボリューション21』(12月13日発売)も100万枚を超える大ヒットを記録した。
- 石黒が2000年1月に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、さらに翌5月には市井が卒業した。
- この頃から中国ブレンド茶「飲茶楼」(2月、JT)や「Dream Net」を始め、CMに多く出演する様になる。また、モーニング娘。がメインで出演する単発特別番組が放送される様になる。
- 2000年3月29日に発売されたサードアルバム「3rd~LOVEパラダイス~」でモーニング娘。のアルバムでは初のミリオンを達成した。
- 2000年4月には、「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系、2007年4月終了)と「フライデーナイトはお願い!モーニング」(日本テレビ系(テレビ岩手製作)、2001年9月終了)の放送がスタートした。この2つの番組に出演してから「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。の企画が放送された。
- 2000年5月に東映系で初主演映画「モー娘。走る!ピンチランナー」が公開される。
- 2001年1月に矢口をリーダーに結成されたミニモニ。が早くも低年齢層に受け入れられ、一気にファン層を拡大した。
- 2001年頃から、メンバーそれぞれの個人活動が多くなると共に、併せてメンバーのソロ写真集が発売される様になる。
- 2001年1月31日に発売された初ベストアルバム「ベスト!モーニング娘。 1」がトリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
- この頃、ほとんど毎週の様に「うたばん」(TBS系)にゲスト出演し、個人の知名度が一気に向上する(同番組へのゲスト出演回数は現在第1位)。
- また、「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容する様になった。
- 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーTV番組「モー。たいへんでした」(日本テレビ系)も始まる(2001年4月~2002年3月)。
- 2001年4月に初代リーダーだった中澤が卒業し、同時に後任のリーダーに飯田が就任、飯田より年上だった保田はサブリーダーに就任した。また、同時期に石川がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。
- 2001年5月3日~27日に初主演ミュージカル「LOVEセンチュリー~夢は見なけりゃ始まらない~」を東京・日生劇場で上演した。これには既に卒業していた中澤も出演した。
- 2001年8月には、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)のメインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、翌2002年8月も2年連続でメインパーソナリティを務める。
- 2001年8月26日にテレビ東京系で放送された「LOVEオーディション21」の結果、5期メンバーとして高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙が加入し、史上最多(当時)の13人体制となる。
[編集] 2002年~2004年
- 2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ「モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ」(TBS系)が放送され、5月24日~6月23日にはミュージカル「モーニング・タウン」を上演した。
- 2002年7月31日に後藤・保田の卒業発表やタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバーチェンジ発表などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。モーニング娘。及び同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている。」という意見もある)。
-
- なおこの後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表される事になる。特に2003年8月の安倍の卒業決定から2005年5月の石川の卒業までの間は常に「卒業時期が既に決定しているメンバー」が在籍していた。
- 2002年12月には、卒業した後藤とハロー!プロジェクト・キッズ(6月30日デビュー)との共演で映画『仔犬ダンの物語』が上映された(但し出演したのは当時のミニモニ。のメンバーと高橋を除いた8人及びハロー!プロジェクト・キッズの11人)。また、この映画の上映と合わせてアニメ映画『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』が上映され、卒業した後藤と共に「モーハムず」(後藤は「ゴハム」)として初の声優に挑戦した。
- 2003年1月には、「LOVEオーディション2002」の合格者発表(最終選考に残った亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人共加入)を前に、2002年3月からソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。藤本も含め、メンバーは史上最多(2006年12月現在まで)の16人となる(但し16人での活動は同年5月の保田の卒業コンサートのみで、それまでに発売されたシングル2枚及びアルバム1枚は12人で出している。)。
- 2003年5月31日~6月29日につんく♂と五木ひろしの共同プロデュースによるミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」を上演した。
- 2003年8月には、石川に代わって紺野と藤本がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」として活動を開始した。
- 2003年9月には、新展開として15人のメンバーを「モーニング娘。さくら組」「モーニング娘。おとめ組」の2つに分けての活動も開始した。それぞれシングルCDを2枚ずつリリースし、組ごとの全国ツアーも行った。しかし、辻と加護の卒業後は正式なアナウンスがないまま2組共活動休止状態となる。
- 2004年1月に長くエース格にあった安倍が卒業した。さらに同月には辻と加護が揃っての卒業発表、そして5月には飯田と石川の卒業も発表され、人気メンバーが相次いで卒業する事になる。
- 2004年5月29日~6月13日にミュージカル「HELP!熱っちぃ地球を冷ますんだっ」を上演した。その後19日と20日には幕張メッセで第1回モーニング娘。文化祭を開催した。この時期には小池百合子環境大臣を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
- 2004年8月には辻と加護が揃って卒業した。この時、既に2人はユニット「W」を結成し、活動を開始していた。
- 2004年9月には、メインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(「ラッキー7オーディション」)が、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材が居ないという理由で、前代未聞の「該当者なし」という結果に終わる。
- 2004年12月31日の第55回NHK紅白歌合戦では、先に卒業した辻と加護のユニットWと共演し、初の複数ユニットによるメドレーを行った。
[編集] 2005年~2007年
- 2004年末から放送していた松浦亜弥と共演したエプソンのCM終了後、モーニング娘。としてのテレビCM出演がなくなる。
- 2005年1月、2代目リーダーだった飯田が卒業し、結成当時の第1期メンバーはすべて卒業した。
- 2005年2月より「モーニング娘。オーディション2005」を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。このオーディション開催中の4月14日に3代目リーダーだった矢口がグループを辞し(理由は前述)、吉澤が4代目リーダーに就任した。
- 2005年5月7日に石川が卒業した。なお、石川は2004年9月に自らをリーダーとする美勇伝を結成している。
- 2005年8月27日には、27thシングル『色っぽい じれったい』で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント『「モーニング娘。/色っぽい じれったい」発売記念東名阪握手サーキット』を横浜・名古屋・大阪で開催した。メンバー10人が3組に分かれ、それぞれの組が1日で3会場を移動し、各地でイベントを行った。
- 2005年10月には、横浜で第2回モーニング娘。文化祭を開催した。今回も環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけた(翌2006年9月にも横浜で第3回モーニング娘。文化祭を開催)。
- 2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦では、卒業メンバー(引退又は事務所を移籍した福田・石黒・市井を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった「LOVEマシーン」を歌った。この年は松浦亜弥→DEF.DIVA→新旧モーニング娘。のメドレーとなった。
- 2006年3月の29thシングル「SEXY BOY~そよ風に寄り添って~」の売り上げは、結成時手売り条件の5万枚をオリコン累計で割り込んだ。
- 2006年7月には、久住が初のモーニング娘。内ユニット(ソロユニット)月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)でCDシングルデビューした。また、9月にはGAMで藤本も松浦と共にユニット活動を開始する。モーニング娘。現役メンバーを含むユニットによるシングルCDの発売は、カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の2004年8月以来2年1ヶ月ぶりである。
- 2006年7月には紺野が学業専念のために、8月には小川が語学留学のためにそれぞれ卒業した。小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時にハロプロからも卒業となった。ハロプロでの活動継続を公言しない卒業は市井以来、「勉学」による芸能活動休止は福田以来である。前の卒業者である石川との間には1年2ヶ月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤と後藤の1年5ヶ月に次ぐ長さである。加入も計算に含めた同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1ヶ月を上回り最長となる。同一メンバー構成でシングルを4枚リリースするのも過去最多記録である(これまでの記録は2nd~4th、13th~15th、16th~18th並びに19th~21stのそれぞれ3枚。)。
- 2006年8月1日~27日に宝塚歌劇団と共同制作した「リボンの騎士ザ・ミュージカル」を上演した。
- 2006年10月31日~12月3日の2006世界バレーにWaT×ハロー!プロジェクトとしてWaT、DEF.DIVA、Berryz工房と共にオフィシャルサポーターに任命された。主にWaTが女子大会に対して、ハロー!プロジェクトは男子大会の宣伝・応援を行った。
- 2006年11月8日発売の31thシングル『歩いてる』で、2003年4月の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来3年7ヶ月ぶりとなる通算10枚目のオリコンシングルチャート週間1位を獲得し、ピンク・レディーの9作を抜いて女性グループ歴代首位に立った。6・7期メンバーにとっては初の1位となった(藤本はごまっとう名義の『SHALL WE LOVE?』で1位獲得経験あり)。
- 2006年8月より「モーニング娘。Happy8期オーディション」を開催し、12月10日に光井愛佳が8期メンバーとして加入する事が発表された。
- 2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦に「GAM&モーニング娘。」として出場した。この回でもメドレー形式となったが、光井は出場しなかった。
- 2007年に入ると、1月2日に「Hello! Project 2007 Winter~ワンダフルハーツ 乙女Gocoro~」の初日の東京公演において「モーニング娘。コンサートツアー2007春~SEXY 8 ビート~」の最終日である5月6日を以て吉澤ひとみがモーニング娘。を卒業し、リーダーとサブリーダーがそれぞれ藤本美貴と高橋愛になる事が発表された。これにより、ASAYANでオーディションを受けて合格したメンバーはすべて卒業する。また、同時期に卒業メンバーの安倍・飯田・後藤及び現役メンバーの新垣と久住の5人で「モーニング娘。誕生10年記念隊」を結成した。
- 2007年3月15日に、中国人2名(ジュンジュン、リンリン)の8期(留学生)メンバーとしての加入が発表された。[14]
[編集] 特徴
ここでは、モーニング娘。でしか見られない現象について記す。
[編集] 教育係
モーニング娘。には、「教育係」という名目で先輩が後輩に指導するならわしがある。中でも、3・4期メンバーではASAYANで教育指導の模様が放送されている。
- 2期メンバー
- 教育係の制度はなかった。しかし、ASAYANでは中澤が叱っている姿が放送された。
- 3期メンバー
- 市井→後藤
- 4期メンバー
|
|
- 5期メンバー
- 教育係の制度はない。
- なお、2001年11月2日に放送されたミュージックステーション(テレビ朝日系)での5期メンバー初登場時に、吉澤→高橋、石川→小川、安倍→紺野、矢口→新垣、という組み合わせで新メンバーの紹介を行ったため、この組み合わせが教育係だと言われた事もあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている。
- 6期メンバー
- 教育係という制度としてではないが、6期メンバーの教育は主に保田が担当している。
- 7期メンバー
- 道重→久住
[編集] メインパート・センターポジション
初期の楽曲はメイン(主旋律)とハモリ(ハーモニー)で構成されていた事から、「ASAYAN」でメインパート争奪戦として取り上げられていた。「LOVEマシーン」以降のリレー式歌唱でも、サビの歌唱を中心とし歌唱パートが多いメインと、その他に区別できる。
人数の増加に伴い、歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心(センターポジション)に居る「センター」も注目される様になった。センターとメインは必ずしも一致しない。メインやセンターを一度も経験せずにモーニング娘。を卒業したメンバーも多い。
メイン及びセンターの遷移は以下の通り。但し、メインやセンターについて公式発表される事もあるものの、多くの場合、公式発表はされないため、誰が見ても明らかな場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず意見が分かれる場合も多い。
順番 | タイトル | 発売日 | メイン・センター |
---|---|---|---|
1st | モーニングコーヒー | 1998年1月28日 | 安倍なつみメイン(飯田圭織サブ) |
2nd | サマーナイトタウン | 1998年5月27日 | 安倍なつみメイン |
3rd | 抱いてHOLD ON ME! | 1998年9月9日 | 安倍なつみ・福田明日香メイン |
4th | Memory 青春の光 | 1999年2月10日 | 安倍なつみ・福田明日香メイン |
5th | 真夏の光線 | 1999年5月12日 | 安倍なつみメイン |
6th | ふるさと | 1999年7月14日 | 安倍なつみメイン(実質安倍のソロ) |
7th | LOVEマシーン | 1999年9月9日 | - |
8th | 恋のダンスサイト | 2000年1月26日 | - |
9th | ハッピーサマーウェディング | 2000年5月17日 | - |
10th | I WISH | 2000年9月6日 | 後藤真希メイン(加護亜依・石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美サブ) |
11th | 恋愛レボリューション21 | 2000年12月13日 | 安倍なつみ・後藤真希メイン |
12th | ザ☆ピ~ス! | 2001年7月25日 | 石川梨華センター |
13th | Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~ | 2001年10月31日 | 吉澤ひとみメイン(吉澤及び安倍なつみ・後藤真希の3人のみ歌唱) |
14th | そうだ! We're ALIVE | 2002年2月20日 | 矢口真里センター |
15th | Do it! Now | 2002年7月24日 | 安倍なつみ・後藤真希メイン(高橋愛・紺野あさ美サブ) |
16th | ここにいるぜぇ! | 2002年10月30日 | - |
17th | モーニング娘。のひょっこりひょうたん島 | 2003年2月19日 | - |
18th | AS FOR ONE DAY | 2003年4月23日 | - |
19th | シャボン玉 | 2003年7月30日 | 田中れいなメイン |
20th | Go Girl~恋のヴィクトリー~ | 2003年11月6日 | -(4グループに分けられ、各グループでユニゾン) |
21st | 愛あらばIT'S ALL RIGHT | 2004年1月21日 | - |
22nd | 浪漫~MY DEAR BOY~ | 2004年5月12日 | 石川梨華・高橋愛・藤本美貴メイン(吉澤ひとみサブ) |
23rd | 女子かしまし物語 | 2004年7月22日 | - |
24th | 涙が止まらない放課後 | 2004年11月3日 | 紺野あさ美メイン |
25th | THE マンパワー!!! | 2005年1月19日 | 吉澤ひとみ・高橋愛メイン |
26th | 大阪 恋の歌 | 2005年4月27日 | 石川梨華・高橋愛・藤本美貴メイン 高橋センター |
27th | 色っぽい じれったい | 2005年7月27日 | 高橋愛・藤本美貴・田中れいなメイン 高橋センター |
28th | 直感2~逃した魚は大きいぞ!~ | 2005年11月9日 | - |
29th | SEXY BOY~そよ風に寄り添って~ | 2006年3月15日 | 高橋愛・藤本美貴・田中れいなメイン |
30th | Ambitious! 野心的でいいじゃん | 2006年6月21日 | 高橋愛・田中れいなメイン 田中センター |
31st | 歩いてる | 2006年11月8日 | 高橋愛・藤本美貴・久住小春メイン |
32nd | 笑顔YESヌード | 2007年2月14日 | 吉澤ひとみ・高橋愛・藤本美貴・新垣里沙メイン |
33nd | 悲しみトワイライト | 2007年4月25日 | 吉澤ひとみ・高橋愛・藤本美貴メイン |
[編集] パート割り
- 歌唱パートの割り振りは、常時10人以上(現在は9人)の大所帯のため、ソロ歌唱フレーズなし、1フレーズのみという場合もある。
- 『女子かしまし物語』では、ライナー(歌詞カード)に記述された。
- 『LOVEマシーン』までは全員分で曲全体のレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。その後、レコーディングでのプロツールス導入に伴い、レコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジする事が多くなる。
- コンサートなどで卒業・脱退したメンバーが受け持っていたパートのある曲を歌う時は、居なくなったメンバーの受け持っていたパートを残っているメンバーの誰かが引き継いで歌う。また希にメンバーの入れ替えがない場合でもパートの入れ替えが行われる事もある。
[編集] エース格メンバー
エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味合いである。エースに該当しないメンバーが素質的または才能的、そして人気が劣っているという意味合いではない。但し、エースについてはつんく♂ら関係者やマスコミによってしばしば言及される事があるものの、リーダーなどの様に公式発表される事はないので、ある時点で誰がエースなのか、特定の時点でのエースは1人に限られるのか、そもそもエースと呼びうる存在がいるのかといった点で意見が分かれる場合が多い。
モーニング娘。の歴史の中で、一般的にエース格メンバーとされているのは安倍なつみ・後藤真希・石川梨華の3人である。
結成時から後藤加入の頃までの初期のモーニング娘。のエースと考えられるのは安倍なつみである。そもそも、インディーズデビュー曲である愛の種とメジャーデビュー曲であるモーニングコーヒーに関わった桜井鉄太郎によれば、モーニング娘。に関わることになったときに所属事務所の人間が「オーディションの落選者の中で安倍なつみがずば抜けて資質があるのでソロで売り出したいが、いきなりソロで売り出すのはちょっと早いのでしばらくグループの中でもませたい。」と語った事を述べている[15]。実際に安倍はモーニング娘。の初期の曲のすべてでメインボーカルを務めており、中でも「ふるさと」はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにも関わらずソロパートがあるのが安倍1人であり、他のメンバーは単にバックコーラスを務めているに過ぎない。モーニング娘。の歴史の中でこの様な例は他には存在しない。かつて、つんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。の顔であり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている。」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」とほぼ同じ意味だと思われる。なお、安倍は歌手としてのソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、ソロでのCM、本格的なドラマ出演、写真集の発売などはいずれもモーニング娘。のメンバーの中では安倍が初めてである。
石川は、在籍時代にはセンターを務める事が余りなかったため、必ずしもエース格とされていた訳ではないが、卒業発表から卒業までの過程においてH.P.オールスターズでのソロパート及び歌い終わり時のセンターや2005年の新春ワイド時代劇「国盗り物語」(テレビ東京系)への出演など、エース的なメンバーが任される様な仕事に多く関わった事もあり、エース格であると認識する写真週刊誌やスポーツ紙が多くなった。広義には高橋愛・藤本美貴・田中れいな・久住小春らを指す事もある。石川がエース格を務めたのはグループ人気にやや陰りが見えた時期であるため、人気の高かった時期にエースを務めた安倍・後藤と同列視すべきではないとする意見もあるが、つんく♂も雑誌の記事で石川はエースとして頑張って来たと発言[要出典]しており、石川がエースとして果たして来た役目は決して小さな物ではないという意見もある。
田中れいなについては、初参加曲である「シャボン玉」でメインを任された事や、新ユニット「あぁ!」のリーダーを任された事などで、後藤真希と対比する形で「エース」として報道された[要出典]。
2003年1月に当時ソロ歌手として活動していた藤本のモーニング娘。入りが発表された時、プロデューサーのつんく♂が「紅白歌合戦でモーニング娘。のメンバーをバックに歌っている藤本を見てモーニング娘。に入れてみたいと思った」などと語ったため、マスコミで「藤本美貴、即戦力のエースとしてモーニング娘。に加入」などと報道された。
2004年9月の7期メンバーの募集時にオーディションの目的が「エースを探す」であるとされたため、その時点のモーニング娘。にはエースが居ない(又は居なくなる)事になるのかがファンの間で議論になった。このオーディションは結果が該当者なしだったため、翌2005年2月に再度7期メンバーを募集し、5月にモーニング娘。に加入した久住小春について、つんく♂は「エースを超えるミラクル」であると評した。「絶対的エース」が不在になったと言われたのはその頃からである。別の見方では、つんく♂の「今の娘。はみんな4番打者だ」という発言により、良い意味での平均化がなされたとも言える。
マスコミでは、ハロプロ系に詳しいサンケイスポーツが「エース」の呼称を頻繁に使用し、以下のメンバーに用いられた。
- エース:安倍なつみ、後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時)、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)、高橋愛(2002年7月ハロプロ改変時)
- 新エース:田中れいな(2006年以降)
- エース候補:久住小春(石川卒業時)
[編集] ラブマの法則
石黒彩から安倍なつみの卒業まで、「LOVEマシーン」のシングルジャケット写真8人の立ち位置右上から6人が以下の様に並び通りの順番となった(石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ)。
飯田 | 保田 | 中澤 | 石黒 |
矢口 | 安倍 | 後藤 | 市井 |
通算3人目の卒業者となる中澤卒業時にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論された事が確認されている。安倍卒業時にマスコミでも話題となったが、「LOVEマシーン」リリース時に在籍していない辻希美と加護亜依の卒業により法則は破られたと考えられた。だが、最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」リリース時に在籍していなかったという批判がある上、その後飯田圭織が卒業した後、ジャケット写真8人の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないという考え方もできる。この当時に在籍していた8人で考えるのが順当と言えるかもしれない。
そして、2005年4月14日に最後の1人である矢口が脱退し、「ラブマの法則」はここに完結した。
その後、翌5月11日放送のフジテレビ系の番組「トリビアの泉」においてこの法則が紹介された。しかし、それ以前にもアッコにおまかせ!(TBS系)や情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ系)で報道していた。また、矢口が脱退した時もブロードキャスター(TBS系)内の「お父さんのためのワイドショー講座」で放送される前に教えた。
[編集] 楽曲オリジナルメンバー
2007年3月現在、モーニング娘。の最古参メンバーは4期メンバーの吉澤ひとみであるため、シングル曲で9枚目の「ハッピーサマーウェディング」より前の曲は、オリジナルとして歌ったメンバーが1人も現存しない(「そうだ! We're ALIVE」にカップリング曲として収録された「モーニングコーヒー(2002 ver.)」などリメイクされたものは除く)。なお、5月に吉澤ひとみがグループより卒業すると最古参メンバーは5期メンバーの高橋愛と新垣里沙となるため、13枚目のシングル「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」より前の楽曲オリジナルメンバーが居なくなる、ということになる。
前述の通り、過去の曲はコンサートにて卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌う。なお、2005年夏のハロー!プロジェクトのコンサートでは当時の『卒業メンバー』である中澤・飯田・安倍・保田・後藤・石川・辻・加護が「LOVEマシーン」を披露する(この時矢口は司会扱いで不参加であったが、同年大晦日の第56回NHK紅白歌合戦で実現した)。もちろん現役メンバーも同曲をコンサートで歌い続けている。
[編集] グループ内ユニット・レンタル
モーニング娘。は、グループ内ユニットとしての「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などの活動も活発であった。
そもそも、このグループ内ユニットとは結成からずっとメイン歌唱の安倍なつみに対しコーラス担当となっていた飯田圭織と石黒彩の歌唱力を活かすため、グループ内ユニットであるタンポポが発案され結成された事が始まりである。また、追加メンバー3名からは声の相性を重視して矢口真里が選抜された。ASAYANとしての企画としても注目が集まり、「メンバーの個性を高めてモーニング娘。に還元する」循環の成功事例となった。
この成功に続いて、プッチモニが結成され、モーニング娘。に続くミリオンセラーとなる。続くミニモニ。はハロー!プロジェクトからココナッツ娘。のミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録し、成功する。この方向性をさらに進め、モーニング娘。のメンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。
2002年7月31日のユニット改編(タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え。各項目を参照の事。)はそれぞれのファンからの反発を買う事になった。結果、改編後タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはあったものの、シングルリリースなしで、両ユニット共活動休止状態となる。ミニモニ。も改編後の路線変更を前後して売り上げは半減し、2004年5月にミカの卒業を以て活動停止した。
2004年にはエコモニ。が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど、活動を続けている。
さらに2006年には、グループ内ソロユニットの月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)や、ハロプロ枠内のユニットGAMといったユニット活動が再開している。
また、上記に記載のあるモーニング娘。さくら組・モーニング娘。おとめ組もグループ内ユニットの扱いになるのかどうかは見解が分かれている。
[編集] 円陣および気合い入れ
モーニング娘。は、ライブやテレビ番組の本番前などにメンバー全員で円陣を組み、右手を重なり合わせ、掛け声を掛け合う気合い入れを行う事が仕来りになっており、モーニング娘。の歴史において欠かす事のできない独特の習慣である。これはメンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という意思確認の目的で結成当時から行われており、ファンの間でも有名である。
- がんばっていきまっしょい!!
- 円陣を組み、リーダーが差し出した手の上から他のメンバーが手を重ね、『がんばっていきまっ』(リーダー格のメンバー)『しょい!!』(メンバー全員)という掛け声を合わせる。この気合い入れはモーニング娘。のライブDVDやASAYAN、ミュージックステーション(テレビ朝日系)などでも公開されている。通常は舞台裏で行われるが、2006年の第57回NHK紅白歌合戦ではステージ上で行われた。これは敷村良子原作で1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した小説「がんばっていきまっしょい」が由来である。1998年にはこの小説も映画化され、これが縁で飯田圭織と同映画主演の田中麗奈が親友になった。
- ダンシング シンギング エキサイティング
- こちらは主にハロプロライブの時にハロプロメンバー全員での気合い入れ時の掛け声である。メンバー全員で両手を繋ぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。『ダンシング シンギング エキサイティング』(リーダー格のメンバー)『ダンシング シンギング エキサイティング、オー!』(メンバー全員)という形になる。こちらも度々ハロプロのライブDVDなどに収録されている。
また、モーニング娘。さくら組とモーニング娘。おとめ組には下記の気合い入れも行っていた。
- 気持ちを合わせて頑張っていきますさくら
- モーニング娘。さくら組の気合い入れ。『気持ちを合わせて頑張っていきます』(リーダー格のメンバー)『さくら』(メンバー全員)。
- おとめファイト
- モーニング娘。おとめ組の気合い入れ。『おとめ』(リーダー格のメンバー)『ファイト』(メンバー全員)。
この他にも、ハロプロの各グループ毎に独特の気合い入れや掛け声が存在する。
[編集] 主な記録
- 女性グループシングルCDオリコン1位回数:10作(歴代最多)
- 女性グループシングルCDオリコン1位連続年:6年(1998年~2003年)
- 通算CDセールス1,000万枚突破(19thシングル「シャボン玉」にて突破、女性グループ史上3組目)
- 女性グループシングルCD総売上げ第2位(2007年1月現在、1位はピンク・レディー)
- 女性グループシングルCDオリコントップ10回数:32作全て(歴代最多)
- 女性グループシングルCDオリコン連続トップ5記録:31作(継続中)
- ミュージックDVDオリコン1位回数:12作
- 『1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数』の世界記録:15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベントにおいて)
- NHK紅白歌合戦関係
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- ※2005年の第56回にて久住小春が加わるが、2007年現在この3名以外に平成生まれの出場歌手は出ていない。
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[編集] 獲得音楽賞
- 日本ゴールドディスク大賞7年連続(1998年~2004年)
- ベストヒットアーティスト8年連続(1998年~2005年)
- 第40回日本レコード大賞最優秀新人賞(1998年)
- 第31回全日本有線放送大賞「新人賞」
- 第13回日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」
- 第36回ゴールデンアロー賞「音楽新人賞」
- 第32・33回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」
- 第41回日本レコード大賞「優秀作品賞」
- 第37回ゴールデンアロー賞「音楽賞」
- 第14回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ちょこっとLOVE・LOVEマシーン・恋のダンスサイト)
- 第42回日本レコード大賞「優秀作品賞」(恋のダンスサイト)及び「特別賞」
- 第24回日本アカデミー賞「新人俳優賞」及び「話題賞」(モー娘。走る!ピンチランナー)
- 第15回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ハッピーサマーウェディング)
- 第44回日本レコード大賞「特別賞」(Hello!projectとして受賞)
[編集] 新聞記事・広告
-
- 2000年12月28日付けの夕刊には、20世紀末に因み「モーニング娘。のゆく世紀・くる世紀」が掲載された。
- 2002年のミュージカル「モーニング・タウン」にはキリンビバレッジとのスポンサーを務めた。
- 2007年1月16日付けの朝刊には、見開きの2ページにわたってモーニング娘。結成10年をアピールする全面広告が掲載された。内閣の組閣写真を模した写真に1~8期の全メンバー23人の巨大な顔がコラージュされた写真が使われ、中央に「それではいっしょに唄いましょう。」、下に「構造改革は行いますが、解散は致しません。今年9月に10周年を迎えるモーニング娘。です」というキャッチコピーが添えられた。なお、安倍なつみの顔が最前列中央の人物に当てはめられている事から、安倍内閣を意識していると思われる。なお、この広告は同日、日本経済新聞(東日本のみ)の朝刊にも掲載された。
- 2007年3月24日付けの朝日新聞夕刊には、1面広告でアルバム「SEXY 8 BEAT」の宣伝を行った。
[編集] その他
- メンバーの平均身長は一般人女性とほぼ同じで、同年代の女性芸能人より背が低い。歴代メンバー25人のうちで身長が160cm以上あるのは石黒・飯田・吉澤・道重・久住・ジュンジュンの6人のみである。身長差の最大は歴代通算では飯田と矢口の24cm差、現役メンバーではジュンジュンと田中の18cm差である。
- 中学生メンバーは茶髪・ピアスは禁止。中学生時代にピアスを付けていたのは後藤(中2:オーディション時~1999年暮れ)と田中(中1:オーディション時、中3:2005年~)と吉澤(中3:2000年10月~)だった。また、石黒は耳の他に鼻にもピアスをしていた。
- 歴代メンバー出身地を都道府県別に分けると、最も多いのは北海道で、石黒・飯田・安倍・紺野・藤本の5名を輩出しており、結成時から紺野卒業時までは常に2名以上のメンバーが同時に在籍(最高は石黒以外の4名)していた(2006年12月現在は藤本のみ)。以下、東京の4名(福田・後藤・辻・亀井、同時在籍は「後藤・辻」と「辻・亀井」のみ)、神奈川の3名(矢口・石川・新垣、全員が同時在籍していた時期が長いが、最多タイ止まり)と続く。小川の卒業により2006年9月時点のメンバーは史上初めて全員の出身都道府県が異なるという状態となった。同年12月加入の光井も既存の誰とも被らず、また留学生2名も出身省(日本の都道府県に相当)が異なるため、2007年3月以降もこの状態は継続中である(吉澤=埼玉、藤本=北海道、高橋=福井、新垣=神奈川、田中=福岡、道重=山口、亀井=東京、久住=新潟、光井=滋賀、ジュンジュン=湖南、リンリン=浙江)。
- 2003年6月3日、神奈川県横浜市と日本演劇興行協会が構造改革特区の1つとして午後10時まで延長する「子役特区」を提案した。鴻池祥肇特区担当大臣が「モーニング娘。特区」と名付け、実施を目指していたが、坂口力厚生労働大臣は「義務教育を受けるためにも限界がある」と慎重な姿勢を示していた。内閣府で行われた9月3日の会談で、坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日より全国的に演劇などへの13歳未満の子役の出演が従来の午後8時までから午後9時までに延長される事になった。
- 2004年1月23日、テレビ東京の菅谷定彦社長は年頭の記者懇親会で「藤本美貴と石川梨華のツートップにするのがいいんじゃないか。そうすれば(今後も)大丈夫だ。」と発言し、同局がこれからもモーニング娘。などのつんくファミリーをリードしたい意思を示した。しかし、モーニング娘。出演のテレビ東京系レギュラー番組は、権利上の問題から、BSジャパンでは放送されていない(過去に同局で放送されたのは同局との共同制作だった「MUSIX!」と単発番組の一部などごくわずか)事や、系列局の少なさもあり、テレビ東京とアップフロントグループは必ずしも蜜月関係とはいえない。
- モーニング娘。は海外にも熱狂的ファンが多数存在し、特にアジア(主に台湾、香港、韓国)では他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は早安少女組)。但し、エイベックスやジャニーズ事務所などと比較すると当該地域へのプロモーション活動はあまり積極的とはいえなかったが、2006年7月に卒業メンバーの後藤真希が韓国で同国のファンを相手にイベントを開催し、11月には同国でライブを開催した。前述にある通り、モーニング娘。も同年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」事や、翌2007年3月15日に中国人留学生のジュンジュンとリンリンが加入した事もあり、今後もハロプロ全体でアジア戦略を模索している。
- その他に英語・フランス語・ドイツ語でのファンサイトも存在し、日本を「クール」と見る諸外国の人々からは一定の認知を受け世界的なアイドルスターと言える。
- 2003年9月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトのメンバーによる芸能人フットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」が結成された。現在では他の芸能プロダクションを巻き込んで芸能界全体がフットサルで盛り上がっている。さらに、2006年1月にはキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」も結成している。
- 自衛官募集のポスターには、有名人が起用されても自衛官の制服を着て写っているのが通例だが、モーニング娘。はそのポスターで初めて自衛官の制服を着ない形でポスターに採用された事がある。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ http://www.helloproject.com/newslist/050414-1.html
- ^ http://web.archive.org/web/20040610032010/www.helloproject.com/apartment/biography/2001.html
- ^ 「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
- ^ 公式サイト ハロー!プロジェクトのバイオグラフィー
- ^ 「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では、結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。
- ^ つんく♂オフィシャルサイト 「モーニング娘。10年記念隊」楽曲コメント
- ^ 福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」(TBS系)で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていた事。そしてMemory 青春の光ツアー最終日だった1999年4月18日に東京・厚生年金会館での中澤裕子の「モーニング娘。は永遠に8人です。」というMC。
- ^ http://web.archive.org/web/20011006141418/www.tv-tokyo.co.jp/musix/037/audition1.html
- ^ http://web.archive.org/web/20030202084618/www.tv-tokyo.co.jp/musix/094/094_new.html
- ^ http://web.archive.org/web/20030207225000/morningmusume.dream.com/news/new_mem/index.html
- ^ 別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ批評12 まるごと一冊、モーニング娘。大特集」や「モーニング娘。×つんく♂」などで他のグループとの比較がなされている。
- ^ 雑誌サイゾーでの山崎会長とされる人物のインタビュー要旨
- ^ 「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)より
- ^ 公式サイト モーニング娘。新メンバーに関して、つんく♂より皆様へのお知らせ。
- ^ 2001年9月29日発行 別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社)に収録された桜井鉄太郎のインタビュー
[編集] 外部リンク
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