弘明寺
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弘明寺(ぐみょうじ)は、瑞応山蓮華院と号し、横浜市南区にある市内最古の高野山真言宗の寺である。
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[編集] 沿革
寺伝によると721年にインドの善無畏三蔵法師により開設されたという。鎌倉時代には源家累代の祈願所とされ、江戸時代には坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所として信仰を集めた。
本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、鉈彫りの典型的な作例として有名なもので、平安時代の作と伝えられ国の重要文化財に指定されている。弘明寺の名物は、この本尊のほか、秘佛という繁殖を奨励するさまざまな仏像があり、弘明寺では「秘佛拝観」の役務を提供し、仏像美術の特殊な造形美術をその所蔵文物として参詣客の要望により適宜公開している。
「弘明寺」は、かつて広い面積を有する寺有地を有していたが、廃仏毀釈による公有地化で、北の寺有地の大半を横浜市に譲渡し、現在は「弘明寺公園」として整備され、また、湘南電鉄(現京浜急行電鉄)が寺の北部分を領有し「弘明寺駅」を開業し、また駅の周辺は、寺が民有化をすすめた結果、寺有地は過去の約二割にすぎなくなった。寺の前から鎌倉街道に至る門前町が古くより開け、弘明寺から鎌倉街道まで、アーケード街となって現在に至っている。鎌倉街道への寺入口の門前街路の交差点の横浜国立大学工学部跡地に「横浜国立大学附属横浜中学校」と「南警察署」があり、横浜市交通局地下鉄の「弘明寺駅」が市電の跡地に建設され、京急の「弘明寺駅」と同名の「弘明寺駅」の称呼を使用している。かつて、この地は、横浜市電の西の終点駅であり、市電のターミナルとして鎌倉方面の市電とバスの乗り換えターミナルとして交通の要であり、かつ、横浜国立大学工学部の学生街としても賑ったが、現在はそのターミナルは港南区の上大岡駅前に移り、かつての学生町・市電ターミナルとしての賑わいは無い。観音橋を挟む門前街のアーケードは、「弘明寺商店街」として、定期日に市がたち、さまざまな露天商が店を開き、遠方から弘明寺参詣客とともに市の日にはたくさんの顧客が集まり、横浜市南区の名所となっている。2001年には、京浜急行電鉄株式会社が弘明寺に「身代地蔵」を奉納した。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 京急本線弘明寺駅下車徒歩3分
- 横浜市交通局(市営地下鉄)弘明寺駅下車徒歩5分