後鳥羽院宮内卿
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宮内卿(くない-きょう)または後鳥羽院宮内卿(ごとば/ごとばの-いん・くない-きょう)は新古今期を代表する女房歌人。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。一般には宮内卿とされることが多いが、同名の女房歌人と区別するために、特に後鳥羽院と冠することもある(玉葉集など)。
生没年不詳。二十歳あまりで夭折したとする説が一般的。家集をはじめとするまとまった著作は残っていない。父は右京権大夫源師光(大納言師頼の子)、母は後白河院女房安芸。兄に源泰光、源具親がいる。
その生涯についてはほとんどはっきりしたことがわからないが、その歌才によって後鳥羽院の召しにあい院のもとに女房として出仕、正治二年(1200年)の正治後度百首、建仁元年(1201年)の老若五十首歌合、通親亭影供歌合、撰歌合、仙洞句題五十首、千五百番歌合、同二年(1202年)の仙洞影供歌合、水無瀬恋十五首歌合などに詠進・出詠している。正治後度百首は後鳥羽院近臣の新人歌人を中心に詠進したものであるから、宮内卿の出仕は正治二年の直前と思われる。また現在判明している歌作でもっとも時代が新しいのは元久元年(1204年)11月の春日社歌合であり、増鏡などの記述から、この後遠からずして亡くなったものと推測することができる。
鴨長明『無名抄』では宮内卿を「昔にも恥じぬ上手」と評し、「あまり歌を深く案じて病になりて」重篤に陥ったが、父の諌めをも聞かずに歌にうちこんだため早世した、という逸話を紹介している。『正徹物語』にも「宮内卿は廿よりうちになくなりにしかば」とあって、彼女が夭折したことは、中世期にひろく知られていた事実らしい。このほか典拠不明ながら、『古今著聞集』には甥と通じていたものの、後に男の通いが絶えて憂悶に苦しんだとする逸話を掲げている。
現在まで300首前後の歌しか伝わっていないが(新古今集に15首、玉葉集に9首など、計43首が勅撰集に入撰)、歌風は視覚効果を意識したあざやかな色彩感覚や自然美を扱ったものが多く、叙景歌に佳作を多く残している。式子内親王・藤原俊成女と並んで新古今集を代表する女流歌人であり、後代に与えた影響も大きい。千五百番歌合に出詠した「うすくこき野辺のみどりの若草に跡までみゆる雪のむら消え」という歌があまりに優れていたために「若草の宮内卿」と呼ばれたという逸話が増鏡に見える。後鳥羽院は時代不同歌合で宮内卿を和泉式部と番えており、ここからも院の彼女に対する高評価が知られる。
[編集] 代表作
- かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそみえね春は来にけり(新古今集)
- うすくこき野辺のみどりの若草に跡までみゆる雪のむら消え(新古今集)
- 花さそふひらの山かぜ吹きにけりこぎゆく舟のあと見ゆるまで(新古今集)
- あふ坂や梢の花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら(新古今集)
- 片枝さすおふのうらなし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ(新古今集)
- 思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ(新古今集)
- 心あるをじまのあまの袂かな月やどれとはぬれぬ物から(新古今集)
- 月をなほ待つらんものかむら雨の晴れ行く雲の末の里人(新古今集)
- まどろまでながめよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ声(新古今集)
- と山なるならの葉までははげしくて尾花がすゑによわる秋風(新古今集)
- 霜をまつ籬(まがき)の菊の宵のまにおきまよふ色は山のはの月(新古今集)
- たつた山あらしや嶺によわるらんわたらぬ水も錦たえけり(新古今集)
- からにしき秋のかたみや立田山ちりあへぬ枝に嵐ふくなり(新古今集)
- きくやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは(新古今集)
- 竹の葉に風ふきよわる夕ぐれの物のあはれは秋としもなし(新古今集)
[編集] 宮内卿に関する記述
- 上のその道を得給へれば、下もおのづから時を知る習にや、男も女も、この御世にあたりて、よき歌よみ多く聞え侍りし中に、宮内卿の君といひしは、村上の帝の御後に、俊房の左の大臣と聞えし人の御末なれば、はやうはあて人なれど、官あさくてうち続き、四位ばかりにて失せにし人の子也。まだいと若き齢にて、そこひもなく深き心ばへをのみ詠みしこそ、いと有り難く侍りけれ。この千五百番の歌合の時、院の上のたまふやう、「こたみは、みな世に許りたる古き道の者どもなり。宮内卿はまだしかるべけれども、けしうはあらずとみゆめればなん。かまへてまろが面起すばかり、よき歌つかうまつれ〔よ〕」とおほせらるゝに、面うち赤めて、涙ぐみて候ひけるけしき、限りなき好きの程も、あはれにぞ見えける。さてその御百首の歌、いづれもとりどりなる中に、
薄く濃き野辺のみどりの若草に跡まで見ゆる雪の村消え 草の緑の濃き薄き色にて、去年のふる雪の遅く疾く消ける程を、おしはかりたる心ばへなど、まだしからん人は、いと思ひ寄り難くや。この人、年つもるまであらましかば、げにいかばかり、目に見えぬ鬼神をも動かしなましに、若くて失せにし、いといとほしくあたらしくなん。(増鏡第一おどろの下)