徳島県立城ノ内中学校・高等学校
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徳島県立城ノ内中学校・高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 徳島県 |
学校長 | 竹内薫 |
設立年月日 | 1979年11月1日(城ノ内高等学校設置) |
校訓 | 自主・協同・前進 |
スクールカラー | |
創立記念日 | |
設置学科 | 全日制普通科 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒770-0003 |
徳島県徳島市北田宮1丁目9番30号 | |
最寄駅 | JR高徳線佐古駅 |
電話番号 | 088-632-3711 |
FAX番号 | 088-633-0126 |
公式サイト | 徳島県立城ノ内中学校・高等学校 |
徳島県立城ノ内中学校・高等学校(とくしまけんりつ じょうのうち ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、徳島市北田宮に位置する中高一貫校である。創立は1980年、徳島市内の高等学校では、徳島県立徳島北高等学校に次いで2番目に歴史の浅い高校である。また、県内初の公立中高一貫校でもある。その経緯は下記を参照していただきたい。高等学校は徳島市の旧総合選抜6校の1つである。
目次 |
[編集] 沿革
- 1977年 新設の公立普通科高校の設置を決定
- 1978年 場所を徳島市北田宮一丁目の日本専売公社跡地とし、建設開始
- 1979年 校舎一部落成
- 1980年 生徒受付開始、第一回入学式
- 1981年 北側校舎が完成し、全館供用開始
- 2002年 2004年度より、県内初の併設型中高一貫校にすることを決定
- 2003年 中学校舎の建設開始、年末に完成
- 2004年 中学生の受付開始。またこれに合わせて04年度からの入学生(中高共に)より制服の変更
[編集] 概要
1970年代、市内に進学校と呼べる普通科高校は、城東、城南、城北、徳島市立の4校しかなく、そのすべての高校で生徒数が飽和状態になろうとしていた。また、第二次ベビーブームの世代が1980年代前半にそれぞれ高校生になることから、必然的に新設の高等学校建設が叫ばれるようになる。それらの過程を経て、1978年、徳島市北田宮1丁目の日本専売公社跡地で校舎建設が始まり、翌年11月、落成する。そして生徒は1980年度より入学を開始する。当初は、現在南北に2つある校舎のうち南1棟しか完成しておらず、特別教室はそのほとんどが北校舎に建てられたため、非常に不便であった。1981年に全館完成。一学年13クラスまで対応できるようになっている。
1990年代後半に入ると、生徒数は減少していく。また、1997年に、徳島市応神町(一部板野郡北島町も含む)に徳島北高校が出来、さらに減少に追い討ちをかける要因になった。実はこの頃、県では、市内の普通科高校の削減を検討する声が上がっていた。市内の総合選抜制度廃止後、各高校の特色作りが必要となってくる矢先、候補に挙がったのが城ノ内高校である(北高校は、市内で唯一吉野川の北側に位置する高校で、市内よりも板野郡・鳴門市の生徒を視野に入れていたため、建設された)。 理由としては、1.場所が中途半端 2.校区内に中学校が存在しない ため、生徒が一番入らないだろうと予想したため、また、 3.他の学校は長い伝統があり、城ノ内がいちばん削除しやすい などが挙げられた。
しかしながら、たった10数年で歴史を終わらせるのはいかがなものか、との声も多数上がり、いろいろな方向で検討していたところ、文部科学省の中高一貫教育推奨の話が出てくる。そこで県は、城ノ内高校を、併設型中高一貫校にすることを決定し、総合選抜制度廃止後の2004年度より、中学校を開校することになった。また、これに伴い制服も、高校を含めて新調している。また、生徒の募集数は、高校240人、中学120人で、現在の中学一期生が高校に進学する2007年度より、高校の外部募集生徒(高校から城ノ内に入学する生徒)の定員を120人にする。クラスは高校6クラス、中学3クラス。2004年度の中学生の入学競争率は約10倍、05年度は6倍と、中高一貫の制度は成功だったといえるだろう。