マラソン
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マラソン(marathon)は、陸上競技の長距離走のひとつで、42.195キロメートルを走り、順位を争う種目である。
マラソンは陸上競技の一つであり、古代ギリシアの故事に由来する 42.195kmを走り順位や時間を競う競技である。
ただし、一般市民向けのスポーツ大会では、ハーフマラソン(21.0975Km)やクウォーターマラソン(10.54875km)をはじめ 42.195キロメートルよりも短い距離でも長距離走であれば、俗に「マラソン」と呼ぶことが多い。これに対し 42.195kmの距離を走るマラソンをフルマラソンという。また、長時間に及ぶ作業なども「マラソン」に例えられている。
オリンピックでもマラソンは常に注目競技の上位となってきた。1964年(昭和39年)の東京オリンピックで円谷幸吉が3位になるなど、日本の男子マラソンは世界最高記録保持者を輩出したり、知名度の高いレースで優勝・上位入賞する時代があった。1990年代前半からは,女子マラソン選手が世界的な競技大会で活躍を見せており、諸外国と比べても最も選手層が厚いといわれるほどの全盛時代を迎えている。
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[編集] マラソンの名の由来
紀元前450年9月12日(紀元前490年11月2日説も)、アテナイ(現在のアテネ)を落とす事を目標にマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を、アテナイの名将ミルティアデスが奇策で撃退したマラトンの戦いでアテナイ軍の勝利というエウアンゲリオンを伝えるためフェイディピデス(Philippides)(プルタルコスによれば、エウクレス(Eukles))という兵士が伝令となり、アテナイの城門で勝利を告げ、力尽きて息を引き取ったと言われている。
1896年、アテネで開かれた第1回オリンピックで、言語学者ミシェル・ブレアルの提案により、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、これが初のマラソン競走となった。
1982年より、これらの故事にちなんでアテネクラシックマラソンが開催されるようになった。コースはマラトンよりアテネの競技場までの42.195kmである。なおアテネオリンピック (2004年)では同一のコースが使われ、女子では日本の野口みずきが優勝を果たしている。
[編集] 42.195kmの由来
以前は、マラソンの距離は約40kmで一定していなかったが、第8回オリンピック以後、42.195kmで定着した。第4回オリンピック時の42.195kmが、そのまま採用されたのである(市街地42km+競技場の200mトラック1周弱)。
ロンドンで行われた第4回オリンピックは、国王の住むウインザー宮殿からシェファードブッシュ競技場の約40kmで行われた。この際、時の王女アレキサンドラが、「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文したために半端な数字になったとする逸話がある。この大会で最初に競技場に到達したイタリアの選手ドランドはゴール地点を勘違いして直前(彼の認識におけるゴール)で倒れ、役員の助力でゴールしたため、のちに失格となった(ドランドの悲劇)。
[編集] 競技の変化
以前は、駆け引きが重要であった。しかし、近年、女子を中心に高速化がめざましく、スピードも求められるようになってきた。 さらには、トラックやクロスカントリーレース同様、スピードの上げ下げで相手のリズムを狂わせて、集団を絞っていくという選手の動きも見られるようになった。そのため、5000メートル走や10000メートル走のトップ競技者が記録を塗り替えることもある。
[編集] マラソンの特徴
- 従来から市民ランナーが参加できる大会も多く存在している。2007年から東京マラソンが日本陸連公認の大会としては初めて市民ランナーにも開放され、3万人規模の大会として成功を収めている。なお一般の大会に於いては仮装ランナーも多数登場し大会を盛り上げているが、スポーツとしての側面からマラソンでの仮装には賛否両論がある。現在仮装については明確なガイドラインが無く、各大会毎に判断が委ねられているが、公序良俗に反しないものという旨の規定については共通しているようである。しかし日本陸連が公認する大会は原則として華美な仮装は禁止となっており、今後東京マラソンについても何らかの改正が必要となる可能性はある。
- 駅伝同様に公道を使用する為、交通規制が伴う競技であるが、殆どの大会が往復コース(特に公式記録樹立に関してはコースの大半が同じであることを条件としている為)であること、また参加者が多い為に競技時間が長く、駅伝以上に交通規制の時間が長くなる。その為事前にあらかじめタイムによる足きりによって(概ね5時間から6時間)参加者を絞り込むことで、交通規制の時間を明確化している大会が多い。当日は周辺の商売やイベントは勿論、近距離の移動などにも不便を強いられることは多い。それでも「たった1日だけだから」と寛容に対処し、沿道での応援などで盛り上げる市民も多い。むしろ開催を知らない観光客などが影響を受けることが多そうである。
[編集] 主要なマラソン大会
[編集] 日本国内で開催の大会
[編集] 日本陸連が主催または後援している大会
- 別府大分毎日マラソン
- 大分県大分市 大分市営陸上競技場→別府市 別府国際観光港折返し
- 東京国際女子マラソン
- 国立霞ヶ丘陸上競技場発着→平和島口/大森海岸交番前(女子)折返し
- 大阪国際女子マラソン
- 長居スタジアム発着→御堂筋・新橋折返し
- 名古屋国際女子マラソン
- 瑞穂陸上競技場発着→名古屋城周回道路折返し
- 長野オリンピック記念 長野マラソン
- 東和田運動公園スタート→長野オリンピックスタジアムゴール(以前のスタート地点は山ノ内町のオリンピックメモリアル聖火台前)
[編集] その他の大規模な大会
- 福知山マラソン
- 全国から1万人を超える市民ランナーが集まる大会。
- つくばマラソン
- 東日本ではもっとも大規模な大会のひとつ。
- 河口湖マラソン
- 11月に行われるマンモスマラソン大会
[編集] 日本国外で開催の大会
大会名 | 開催国 |
---|---|
アテネクラシックマラソン | ギリシャ |
パリマラソン | フランス |
ロッテルダムマラソン | オランダ |
ボストンマラソン | アメリカ合衆国 |
ロンドンマラソン | イギリス |
ベルリンマラソン | ドイツ |
北京国際マラソン | 中国 |
シカゴマラソン | アメリカ合衆国 |
ニューヨークシティマラソン | アメリカ合衆国 |
ホノルルマラソン | アメリカ合衆国 |
バンクーバーマラソン | カナダ |
ゴールドコーストマラソン | オーストラリア |
[編集] 歴代記録
コースによって条件が異なるマラソンは、国際陸上競技連盟(国際陸連=IAAF)が記録公認をしていなかったため、これまでの記録を上回っても、「新記録」ではなく「最高記録」と言われていたが、2004年、国際陸連は、距離計測方法、スタートとゴールの高低差など記録公認諸条件を整備、マラソンを含む道路競技の記録も「新記録」と表現されるようになった。
したがって、これまでマラソンの記録は「世界最高記録」「日本最高記録」などと称されてきたが、2004年以降は他の種目同様「世界記録」「日本記録」などと称されることになった。
[編集] 男子世界歴代
位 | タイム | 氏名 | 所属 | 年月日 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2時間4分55秒 | ポール・テルガト | ケニア | 2003年9月28日 | ベルリン |
2 | 2時間4分56秒 | サミー・コリル | ケニア | 2003年9月28日 | ベルリン |
3 | 2時間5分38秒 | ハーリド・ハヌーシ | アメリカ合衆国 | 2002年4月14日 | ロンドン |
4 | 2時間5分50秒 | エバンス・ルト | ケニア | 2003年10月12日 | シカゴ |
5 | 2時間5分56秒 | ハイレ・ゲブレセラシェ | エチオピア | 2006年9月24日 | ベルリン |
- 日本記録: 2時間6分16秒 高岡寿成(シカゴマラソン)2002年10月13日
- Jr世界記録: 2時間10分13秒 モーゼス・マサイ( ケニア)2005年4月17日
- Jr日本記録: 2時間15分30秒 砂田貴裕 1992年12月20日
- 高校記録: 2時間24分24秒 高橋宏幸(米子商業高等学校) 1993年2月21日
[編集] 女子世界歴代
位 | タイム | 氏名 | 所属 | 年月日 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2時間15分25秒 | ポーラ・ラドクリフ | イギリス | 2003年4月13日 | ロンドン |
2 | 2時間18分47秒 | キャサリン・ヌデレバ | ケニア | 2001年10月7日 | シカゴ |
3 | 2時間19分12秒 | 野口みずき | 日本 | 2005年9月25日 | ベルリン |
4 | 2時間19分36秒 | ディーナ・カスター | アメリカ合衆国 | 2006年4月23日 | ロンドン |
5 | 2時間19分39秒 | 孫英傑 | 中国 | 2003年10月19日 | 北京 |
6 | 2時間19分41秒 | 渋井陽子 | 日本 | 2004年9月26日 | ベルリン |
7 | 2時間19分46秒 | 高橋尚子 | 日本 | 2001年9月30日 | ベルリン |
- Jr世界記録: 2時間23分37秒 劉敏( 中国)北京国際マラソン 2001年10月14日
- Jr日本記録: 2時間30分30秒 増田明美 オレゴンTCマラソン 1983年9月11日
- 高校記録: 2時間36分34秒 増田明美(成田高等学校)千葉選手権マラソン 1982年2月21日
[編集] 最長記録
スタートしてからゴールするまでに最も長く掛かった記録は日本の金栗四三が記録した54年8ヶ月6日5時間32分20秒3である。
金栗は1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソンに出場したが、途中で体調を崩し棄権した。しかし、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わらず(関係者が棄権の届けを出さなかったとの説もある)、金栗は記録上「競技中に失踪し行方不明」となった。そのまま時は流れ、1967年にストックホルム市がオリンピック開催55周年を記念する式典を開催することになり、当時の記録を調べていたオリンピック委員会は金栗が「行方不明」即ち、完走も棄権もしていない状態であることを発見し、金栗に改めて棄権するか完走するよう要請した。要請を受けた金栗はストックホルムへ赴き、式典の中で当時のコース(実際には競技場内の100メートル、残りの距離を消化した扱い)を走ってゴールし、ゴールまで半世紀以上という公式記録が残された。
[編集] 記録に関する用語
- サブスリー - フルマラソンを3時間以内に完走すること。市民マラソンランナーにとっては、尊敬とあこがれの記録とされている。
- サブフォー - フルマラソンを4時間以内に完走すること。ある程度練習をすれば、市民ランナーにも比較的容易に出せる。
- サブテン - フルマラソンを2時間10分以内に完走すること。男子選手でも難しい。