志筑忠雄
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志筑忠雄(しつき ただお、1760年-1806年)は、江戸時代の蘭学者、長崎通詞。
中野家に生まれる。志筑家の養子に。号は柳園。通詞を辞職の後、蘭学、天文学などの研究に集中した。
[編集] 訳著書
- 『万国管窺』1782年 - 大航海時代のいくつかの旅行記の日本語訳。日本で初めてコーヒーについて言及した書、との説がある。
- 『八円儀及其用法之記』1798年 - コルネリス・ドウエス著『Cornelis Douwes: Beshrijving van het Octant』(1749年)の日本語訳。
- 『鎖国論』1801年 - エンゲルベルト・ケンペル(ドイツ人、1651年 - 1716年、医師)著『日本誌』(1727年)の章の1つ『日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理』の日本語訳。「鎖国」という言葉を生んだ書とされている。
- 『暦象新書』1802年 - 原著はジョーン・ケイル(1671年-1721年)の『真正なる自然学および天文学への入門書(Introductiones ad Veram Physicam et veram Astronomiam)』(1725年)。アイザック・ニュートンやヨハネス・ケプラーの生んだ法則や概念、+、-、÷、√といった記号を日本に紹介し、遠心力、求心力、重力、楕円という語を生んだ書。
- 『二国会盟録』1806年 - ジェルビヨン(フランス人、宣教師)が著わした旅行記の日本語訳。
- 『三角算秘傳』 - ネイピアの法則を日本に最初に紹介したとされる書。