或る夜の出来事
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或る夜の出来事 It Happened One Night |
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監督 | フランク・キャプラ |
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製作 | フランク・キャプラ ハリー・コーン |
脚本 | ロバート・リスキン |
出演者 | クラーク・ゲイブル クローデット・コルベール |
音楽 | ルイス・シルヴァース |
撮影 | ジョセフ・ウォーカー |
編集 | ジーン・ハブリック |
配給 | コロンビア映画 |
公開 | 1934年2月22日 ニューヨーク |
上映時間 | 105分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
制作費 | 約32万ドル(当時) |
興行収入 | 約200万ドル(当時) |
allcinema | |
キネマ旬報DB | |
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IMDb | |
『或る夜の出来事』(あるよのできごと、It Happened One Night )は1934年のアメリカ映画(白黒)。コロンビア映画製作。スクリューボール・コメディの第1号作品として有名である。
戦前の米国映画は、「ボーイ・ミーツ・ガール」という典型的な法則に支配されていた。つまり、一人の青年が一人の少女に会う。そして恋に落ちる。そこへごたごたが起きて二人の仲はピンチになるが、その危機は克服され、二人はめでたく結ばれる。というハッピーエンドで、特に軽い作品には時々見ることができる。この『或る夜の出来事』ではこの土台の上にいろいろな趣向をこらして、巧みな話術で展開した作品である。
原作は当時の売れっ子作家サミュエル・ホプキンス・アダムズが、雑誌コスモポリタンに載せた小説「夜行バス」を、名脚本家でキャプラのよき相棒でもあったロバート・リスキンがシナリオを書いた。おしゃれな台詞、キビキビした物語展開に、キャプラの弾むような演出のどれもが光る作品である。トーキー5年目にしてキャプラはトーキーを完全にマスターし、誰よりも鮮やかなストーリー・テラーとしての才能を全開させている。
アカデミー賞では主要5部門でノミネートされ、5部門とも受賞した(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)。ちなみにこの5部門(脚色賞は脚本賞でもいい)を全て制することは、1975年の『カッコーの巣の上で』が成し遂げるまで出ないほどの大記録であった。
目次 |
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
富豪の令嬢エリー(クローデット・コルベール)は、プレイボーイとの結婚を父親に反対されていた。聞かない娘に業を煮やした父親はエリーをヨットに監禁してしまう。そのやり方にいよいよ反発したエリーはヨットから逃げて、マイアミからニューヨークに向かう夜行バスに乗り込んだ。
そこに乗り合わせたのが、上司とウマが合わず失業中の新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)。ほんの些細なきっかけから、二人は座席を争って大げんかするが、そのうちにお互いの心に恋が芽生えていく。バスを降りた二人は、乏しい持ち金をやりくりして、安宿の一室に泊まることになるが、部屋の真ん中にロープを張り毛布を掛けて、「ジェリコの壁」と呼ぶ。なかなか素直になれない二人だが、お互いの恋心は強くなる一方であった。
それでも、お互いの気持ちを隠し合い、意地を張りながらエリーとピーターは別れてしまう。エリーは父親の元に帰り、いよいよ結婚することになった。結婚式の当日、真の恋人はピーターしかいないと、ようやく悟ったエリーは、父とプレイボーイを式場に置き去りにして逃げ出すのだった。
[編集] エピソード
- マーナ・ロイは、エリー役から降りた。なぜなら、前作でバスでのセットがあり、その作品の出来としては失敗したためである。ロバート・モンゴメリーも送ってきたシナリオが今までの中では最悪だ、というので出演を断った。
- クローデット・コルベールも最初出演を嫌がっていたのだが、撮影期間4週間、給料はいつもの2倍と提示されて承諾した。実は彼女もオスカーをもらうまで、この映画自体を嫌っていた。
- 自分が受賞するとは夢にも思っていなかったクローデット・コルベールは、授賞式に全く無関心で参加せずに汽車でニューヨークに向かおうとしていた。彼女の受賞が決まるとアカデミーの係員が彼女の居所をつきとめて会場まで連れて行こうとした。そして、コルベールが駅に戻るまでの数分間、鉄道会社は彼女のために汽車を待たせていた。そういう訳でオスカーの授賞式の際は、映画と同じく旅行用ドレスのままで、受賞スピーチを行ったのである。
- クローデット・コルベールが映画の中で着た衣装は、たった4種類であった。最初の方で着ていたナイトガウン、外出用ドレス、クラーク・ゲーブルが着ていたパジャマ、そしてウェディング・ドレスのみである。
- フランク・キャプラが、「ジェリコの壁」のアイディアは、クローデット・コルベールが着替える場所がないことから、とっさに思いついたのであった。
- クラーク・ゲーブルはMGM社の専属俳優であった。なぜ、別会社コロンビア映画に出演できたかというと、MGMでは当時ゲーブルはあまりにもぱっとした俳優ではなかったのと、撮影ではない時には行儀が悪くいつも大騒ぎを引き起こしたということの報復、とのことでMGMがコロンビアに貸し出されたのであった。
- クラーク・ゲーブルがYシャツを脱ぐと裸だったのは、撮影に際して用意した下着のシャツが長すぎるし大きすぎてだらりと垂れるため、たまたま着ていなかったのだった。この映画の公開後、下着を着ない方が涼しい、ということで米国中の下着の売り上げが落ちてしまった。下着メーカーはコロンビアに抗議した。
- アカデミー作品賞とナショナル・ボード・オブ・レビューの最優秀作品が一致した初めての作品であった。
[編集] キャスト
[編集] スタッフ
- 監督:フランク・キャプラ
- 脚本:ロバート・リスキン
- 原作:サミュエル・ホプキンス
- 音楽:ルイス・シルヴァース
カテゴリ: アメリカ合衆国の映画作品 | 1934年の映画 | コメディ映画 | アカデミー賞作品賞受賞作