アメリカ映画
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アメリカ映画は、主にアメリカ合衆国の人々や映画会社によって制作された映画のこと。専らハリウッド映画という意味で使われるが、正確にはアメリカ映画の中にはインデペンデント映画などの、ハリウッドの映画会社によるメジャーな映画ではない映画も数多く存在する。アメリカ映画は年間制作本数の面でも1本の制作費の面でも世界で最も大きな規模を誇る。また、国際性の豊かさも大きな特徴である。アメリカ映画に関わる映画監督、男優、女優はアメリカ人とは限らず、世界各国から渡米した人々が多い。
一方で軍産複合体の都合上、少なからずハリウッドも出資者の影響を受けており特に軍部などの協力を仰がねばならない戦争映画に関しては「プロパガンダ」「独善的」と揶揄されることもある(もっとも全ての映画が出資者の意向で作られている訳ではない)。他にも「低俗的」「考証が下手」「文化的侵略」とも言われ、特定の国々では上映を中止するケースもある。
近年では製作費や役者のギャラが高騰し、一時期のような超大作は作りづらくなっている。収益の見込める有名監督による大作、過去作のリメイクや続編、他国の映画のリメイクに加え、比較的経費が少ないドキュメンタリー映画などに頼らざるを得ないのが現状である。またコスト削減を目的に、カナダやオーストラリア、ヨーロッパなどアメリカ国外で撮影される場合が少なくない。
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[編集] 歴史
[編集] 1890年代
1893年、アメリカでトーマス・エジソンが「キネトスコープ」という映写機を発明した。これは箱を覗くとそこに動く映像が見えるという覗き穴式だったため、現在の映画の直接的な起源とは考えられていない。直接の起源は1895年にフランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」である。
[編集] 1900年代
1903年、エドウィン・S・ポーターが「大列車強盗」を制作した。物語を持った初期の映画で、西部劇の元祖ともいえる作品である。この頃の映画はまだ紙芝居のような見世物の段階であった。1905年、アメリカでは初めての映画館がピッツバーグに設立された。
[編集] 1910年代-1920年代
エジソンがシネマトグラフをアメリカで使用する特許を取ったために、アメリカでの映画制作は難しいものとなっていた。困った映画人たちは西海岸のロサンゼルス・ハリウッドへ逃げた。そこは降雨も少なく様々な風景があったため映画制作にも適していた。 ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民だった。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けており、映画という新しい娯楽ビジネスに注目したのである。1912年にはユニヴァーサル映画とパラマウント映画、1915年には20世紀フォックスの元となるフォックス・フィルム、1919年にユナイテッド・アーティスツ、1923年にワーナー・ブラザーズ、1924年にMGMとコロムビア映画などの現在のメジャースタジオが次々と設立された。これらの会社を設立したのは皆ユダヤ人である。この時期には「アメリカ映画の父」とも呼ばれるD・W・グリフィス監督の「國民の創生」(1915年)が公開された。
第一次世界大戦(1914年~1918年)の後、多くの映画制作者がヨーロッパから渡米してきた。最も有名な人物はアルフレッド・ヒッチコックである。
1927年、アメリカで初めてのトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開。1929年には第1回アカデミー賞が開催された。見世物として始まった映画が、本格的に文化として認められ始めたといえる。
[編集] 1930年代-1940年代
1930年代~1940年代はハリウッド黄金期と呼ばれている。大きな映画会社が大規模で良質な映画を次々と生み出した。これはスタジオ・システムと呼ばれる。「或る夜の出来事」、「風と共に去りぬ」、「駅馬車」、「市民ケーン」などが代表的である。スクリューボール・コメディと呼ばれるロマンティック・コメディ映画が流行した。
1940年代の終わりにスタジオ・システムは独占禁止法と、テレビの登場によって崩壊した。
[編集] 1960年代
1967年の映画「俺たちに明日はない」を発端として、アメリカではアメリカン・ニューシネマと呼ばれる反体制的な若者を描く作品群が1970年代半ばまでいくつか制作された。これはベトナム戦争(1960年~1970年)が影響を与えたと考えられている。
[編集] 1970年代
1970年代にはアメリカ映画に大きな変化があった。スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラらの登場である。彼らは映画学校で学び、1960年代にヨーロッパで生まれた技術を身につけた新しいタイプの監督だった。大きな興行成績を上げるうえに批評家たちからも高く支持された。
[編集] 1990年代
新しいビデオというメディアはハリウッドのビジネスにも影響を与えた。また、クエンティン・タランティーノやポール・トーマス・アンダーソンのようなビデオ世代の映画監督が出現したことも特筆すべきである。またコンピュータ・グラフィックス(CG)技術の発展により、従来の技術的・費用的限界からの解放が進んだ。
[編集] アメリカ映画の代表的な人物
映画監督はスタンリー・キューブリック、マーティン・スコセッシ、ジョン・ヒューストン、ロバート・アルトマン、ジョン・フォード、スパイク・リー、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランク・キャプラ、クリス・コロンバスなど。
俳優はデンゼル・ワシントン、クラーク・ゲーブル、マーロン・ブランド、ジェームズ・キャグニー、ジェームズ・ディーン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ハリソン・フォード、キャサリン・ヘプバーン、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンロー、ジュリア・ロバーツ、メリル・ストリープ、ジョン・ウェイン、ダスティン・ホフマンなど。
[編集] 関連項目
[編集] 文献
- ミドリ モール『ハリウッド・ビジネス』 文春新書 文藝春秋 ISBN 4166602101
- 加藤幹郎『映画 視線のポリティクス』古典的ハリウッド映画の戦い 筑摩書房 ISBN 4480872833
- 副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈上〉』(講談社 +α文庫)ISBN 4062568438
- 副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈下〉』(講談社 +α文庫)ISBN 4062568446