扇ひろこ
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扇 ひろこ(おうぎ ひろこ、本名:乗松博美、1945年2月14日 - )は、日本の演歌歌手。広島県生まれ、大阪府育ち。
[編集] 略歴
1945年、広島県広島市生まれ。 生後6ヶ月の同年8月6日被爆。父を亡くし母ともに大阪に出て大阪府西区で育った。
幼い頃から歌好きの母に連れられ歌謡学院などで歌う。
相愛高等学校卒業後の1963年、日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)と契約。1964年8月6日の広島平和記念式典で、原爆遺児として「原爆の子の像」をデビュー曲として歌った。しかし版権を広島市に寄贈したため、公式デビュー曲は同年発売の『赤い椿の三度笠』となる。
1966年「哀愁海峡」、1967年「新宿ブルース」が大ヒットして第一線に出た。同年と翌1968年に『NHK紅白歌合戦』に2度出場。また任侠映画の女侠客役で、1969年日活『昇り竜鉄火肌』(石井輝男監督)の主演を始め映画にも多数出演。「東映の藤純子」、「大映の江波杏子」に対抗して「日活の扇ひろこ」として人気を博すが、任侠映画の衰退期でもあり主演で活躍した期間は短かった。その後映画は助演にまわった。中では1972年の東映女囚さそりシリーズ第1作『女囚701号 さそり』(主演梶芽衣子)に次ぐ準主役の女囚役などが有名。
1972年コミックバンド、ダイナショウのリーダー鹿島密夫と結婚したが1976年離婚。
現在も全国各地のホール、温泉場などで公演を続けている。近年は自身も被爆者手帳を持ち被爆体験も持つことから、前述の「原爆の子の像」や、美空ひばりが第一回の広島平和音楽祭で歌ったことで知られる「一本の鉛筆」などの反戦歌なども歌っている。
扇の「新宿ゴールデン街」をレコードの回転数を落として聞くと、オカマの愚痴になると1970年代後半話題になったことがある。当時『オールナイトニッポン』のDJをやっていたタモリが面白いレコードを紹介するコーナーがあり、これに取り上げられレコードも再発売された。(参照:タモリのオールナイトニッポン)