手力雄神社 (各務原市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
手力雄神社 | |
---|---|
所在地 | 岐阜県各務原市那加手力町4 |
主祭神 | 天手力雄神 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 六世紀 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 4月28日・29日 |
手力雄神社(てぢからおおじんじゃ)は、岐阜県各務原市那加にある神社。
目次 |
[編集] 歴史
六世紀末期ごろ中里(現那加地区)を支配していた豪族により、山の中腹に磐座を祀ったのが始まり。 永禄10年(1567年)、織田信長は当社で稲葉山城攻めの戦勝祈願を行い、戦勝後は広大な社領を寄進したという。寺社勢力にも容赦ない攻撃で臨んだ信長にしては珍しいが、これは信長が各務原へ攻め入り、周囲の寺を焼き払って当社に迫ったところ、霧が立ち込め体の自由が利かなくなり落馬した。 信長がこれを神罰と恐れ、以後崇敬し各務野原近里(現在の那加地区・尾崎団地・航空自衛隊岐阜基地・市役所一帯)千三百町歩を社領に付し、宝物等を寄進し文化財として今日に至る。 その後も旗本坪内・徳山等諸氏の崇敬も深く数百年来八ヶ村氏子崇敬者により神事・祭礼・造営修復事業が変わりなく奉仕され、現在は那加地区総社として崇敬されている。
信長公が戦勝祈願したことから、今日では、勝運・開運の神としてスポーツ関係等各種団体の勝運・必勝祈願の参拝者で賑わう。
なお、春の火祭で知られるのは岐阜市の手力雄神社である。当社から岐阜市の手力雄神社までは、南西へ約1.5km(直線距離)しか離れていない。
[編集] 主な神事
- 4月28日・29日 例大祭
[編集] 文化財
- 石造り狛犬(県重要文化財)
- 本殿 左右龍彫刻(市重要文化財)
- 獅子頭
- 磐座
- 横穴式石室古墳(六世紀後期)
- 信長公ゆかり 「弓掛桜」「的場桜」「信長公禁制」
[編集] 交通アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- あの信長がマイッタ手力雄神社 信長が当社を崇敬するようになったいきさつなど。
神 道 | |
---|---|
ポータル神道 (ウィキプロジェクト神道) | |
基 礎 | 神道、日本神話、神、日本の神の一覧 |
文 献 | 日本神話、古事記、日本書紀、風土記 |
神 社 | 神社、神社一覧、式内社、一宮、近代社格制度、別表神社 |
祭祀と祭礼 | 祭、祝詞 |
関 連 用 語 | 神道用語一覧 神仏習合、修験道、陰陽五行説、民俗学、国学 |
カテゴリ: 岐阜県の神社 | 各務原市 | 神道関連のスタブ項目