推進式 (航空機)
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推進式(すいしんしき、またはプッシャー式、Pusher configuration)とは、航空機においてプロペラが機体後部に設置されている形式のことで、プロペラの回転によって生ずる空気の流れは機体を"押し出す"形になる。これに対して牽引式(トラクター式、Tractor configuration)では、プロペラが機体前部に設置されるため機体を"引っ張る"形になる。
[編集] 概要と歴史
初期の航空機の多くは推進式であり、この中には世界初の有人動力飛行を達成したライトフライヤー号や、ユージン・エリーによって初めて艦上からの離陸に成功したカーチス Model Dも含まれている。第一次世界大戦初期において、イギリスではプロペラの回転域を通過させて前方に射撃する手段を持たなかったため、推進式の航空機(ビッカース ガンバス、王立航空機廠 F.E.2、エアコー DH.2など)が好まれた(ドイツでは早期にプロペラ同調装置が開発されたためこの傾向はない)。
単発・推進式の航空機では、エンジンは機体のナセル後部中心線上に配置される。このような機体では、いわゆる胴体と呼ばれる部分を持っておらず、尾部はプロペラのクリアランスを確保するために枠構造となっている。
プロペラ同調装置が広く採用された結果、推進式のほとんどの利点は失われ、牽引式が支持されるようになった。戦後、推進式は絶滅するまでには至らなかったが、新規に開発される航空機では少数派となってしまった。
1930年代、スーパーマリン・ウォーラス(水上機)は推進式を採用した。また、ショート S.19 シンガポールのように大型の多気筒エンジンを搭載した場合には、牽引式と推進式を組み合わせたプッシュプル方式(push-pull configuration)が引き続き採用された。極端な例としては、コンベア B-36がある。この機体はこれまでアメリカで運用された爆撃機の中でも最大級の大きさで、P&W R-4360星型エンジンを6基、推進式に配置した。更にB-36DではGE J47 ターボジェット4基を追加し、合計10基のエンジンを推進式配置することになった。また、震電やサーブ 21ではジェットエンジンが利用できない段階であったにも関わらず、推進式で開発された。
[編集] 利点
胴体後部にプロペラを配置することによって効率が向上することがある。なぜなら、胴体表面を流れるにつれて発達した境界層に対しエネルギーを供給し、剥離を防ぐことで、形状抗力が減少するためである。しかし、潜水艦や船舶においてプロペラ(スクリュー)を後部に配置することに比べると、小型航空機での効果は大きくはない。潜水艦や船舶ではレイノルズ数がずっと大きいためである。
また、翼の全域でプロペラ後流(プロップ後流、プロップウォッシュ)が存在しないため、翼の効率が向上する。
後方に推力の作用点があるため、牽引式に比べると安定性がやや小さい。これによって機動性が向上する可能性がある。
単発飛行機について考えると、推進式のエンジン配置は、コクピットの前方にエンジンとプロペラ回転面のある牽引式に比べると、操縦者の視界がよい。従って、初期の戦闘用偵察機に広く使われた。今日でもウルトラライトプレーンなどに残っている。
単発機のプロペラは、RAF FE2b(本稿右上の画像)に見て取れるように、昇降舵や方向舵により近づけて設置することが可能である。こうすると舵面上の流れが速くなり、低速時のピッチ(上下の首振り運動)とヨー(左右の首振り運動)の制御がしやすくなる。特にエンジンが全開である離陸時には効果を発揮する。これはブッシュフライング(不整地での離着陸)における利点になりうる。特に、障害物で囲まれているような滑走路に離発着する際には、低速で飛びながら障害物を避けなければならないため、有効である。
[編集] 欠点
推進式配置は、墜落事故や不時着の際に乗員・乗客を危険に晒してしまう。仮にエンジンが客室の後方にあった場合、墜落する際にエンジンは慣性に従って前方へ移動して客室内へ侵入し、乗客を死傷させてしまう。逆に客室前方にあれば、エンジンは進路上に飛び出して地面に叩きつけられるか突き刺さるので、乗客にとってはかなり安全であるといえる。
単発・推進式の航空機では、搭乗員が脱出する際にプロペラに接触する可能性がある。推進式を採用することで、理論上は操作性が向上するにも関わらず、この潜在的な危険を理由に第一次大戦後の戦闘機ではほとんど使われることがなかった。
さらに危険で、実際の運用上懸念されるのが外的要因による損傷(FOD:Foreign Object Damage)である。推進式のプロペラ回転域は一般的に降着装置の後方に存在するため、石や埃など様々な異物が車輪によって巻き上げられ、ブレードが破損、もしくは磨耗が加速されてしまう。また、機体中心軸上にプロペラを配置している機種(ルータン Long-EZなど。本稿左上の画像を参照)のいくつかは、離着陸時の機首上げ動作を行うとプロペラ回転域が地面にかなり接近するため、芝生の滑走路ではブレードに植物が接触してしまうことがある。
飛行中に気温が氷点下になると、翼に氷の層が形成される。一度翼についた氷が溶け、剥がれ落ちる際にはプロペラブレードを破損させることがある。また、ブレードに当たった氷の多くは弾き飛ばされて機体に被害を与えることがある。
牽引式配置の空冷エンジンでは、プロペラから生み出される気流によって効率的にエンジンを冷却することができる。しかし推進式の場合は同じ効果を得られず、いくつかの機種で冷却が不十分になる問題が発生している。キャブレターの凍結においても同様で、シリンダーから発生する熱(熱風)によってキャブレターを暖めたり凍結を防止することは(牽引式に比べて)難しい点が多い。
プロペラから発生する騒音は、エンジン排気によって増幅されることがある。この効果は、大排気量のターボプロップエンジンを使用した際に顕著に現れる。例として、ピアッジョ・アヴァンティではプロペラ回転域を通過する排気によって高いピッチ音が発生し(逆に客室内の騒音は低減している)、着陸時には大きな騒音が聞かれる。
主翼から発生するダウンウォッシュ(吹き降ろし)によってプロペラが振動するため、気流と推力は非対称なものとなり結果として操縦性の悪化や速度低下を招くことがある。
フラップを使用する時にも問題が起こりやすい。
- プロペラ後流が翼面に当たっていない場合、フラップを通過する空気の流れは遅くなり、その効果は減少する。
- エンジンを主翼に装備することで、本来利用可能なフラップ領域が狭められてしまい、結果として十分な効果を得られなくなる。
尾部の前方にプロペラを設置することで様々な利点もあるものの(上節を参照)、逆に欠点となる場合もある。エンジン出力の加減で尾翼に流れる気流の速度が変化するため、ピッチ&ヨー運動が急激なものになるからである。気性の荒いパイロットは、まずエンジン出力を調整してから飛行経路を維持することが要求されるだろう。