震電
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震電 | |
概要 | |
用途 | 試作局地戦闘機 |
乗員 | 1 名 |
初飛行 | 1945-08-3 |
運用開始 | 運用に至らず |
メーカー | 九州飛行機 海軍航空技術廠 |
寸法 | |
全長 | 9.76 m |
全幅 | 11.114 m |
全高 | 3.55 m |
主翼面積 | 20.50 m2 |
重量 | |
空虚 | 3,525 kg |
運用 | 4,950kg |
最大離陸 | 5,272 kg |
滑走距離 | |
離陸 | 560 m |
着陸 | 580 m |
動力 | |
エンジン | 三菱製 ハ-43-42(MK9D改) 星形複列18気筒 (延長軸・強制空冷・フルカン継手過給機) |
出力 | 2130 HP 1590 kW |
性能(推算值) | |
最大速度 | 750 km/h(計画) @高度8,700 m |
巡航速度 | 425 km/h |
航続距離 | 1000~2000 km (装備によって変化) |
実用上昇限度 | 12000 m |
上昇率 | 750 m/min |
武装 | |
機関銃 | 17試 30 mm 固定機銃一型乙(機銃一門あたり弾丸60発携行、発射速度は毎秒6発から9発) ×4
訓練用 7.9mm 固定機銃×2 写真銃×1 |
爆弾 | 60 kg×4 30 kg×4 いずれか or 混載 |
その他 |
震電(しんでん)は、第二次世界大戦末期に日本で開発された、レシプロ単発単座の試作局地戦闘機。迎撃戦闘に特化した局地戦闘機として、高速性の追求と、大口径機関砲による火力の集中を目的として当時としては珍しいエンテ型飛行機(前翼型/カナード翼型。「先尾翼」という名称で呼ばれることがあるが、本来、飛行機の尾翼は何ら浮力を発生するものではなく、本機のような機体形式を指す場合、正しくはない)の形式を取っている。
日本の戦闘機としては異例の革新性を持つ機体だが、主機として搭載する予定であったハ-43型発動機の開発が大幅に遅れていたこともあり、戦争が昭和20年8月以降も継続されていたとしても、震電が量産されて実戦に投入されたかどうかには疑問の声もある。
唯一、現存する機体はアメリカの国立航空宇宙博物館の復元施設であるポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設にて分解状態のまま保存されているが、2006年現在復元の予定はない。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 開発経緯
昭和19年(1944年)6月に日本海軍がB-29迎撃を目的に空技廠と九州飛行機に共同開発を命じた。MXY6等を利用しての基礎研究が既に行われていたとはいえ、わずか1年後の昭和20年(1945年)7月には初号機が完成し、8月12日に試験飛行にも成功した。実は、これ以前にも試験飛行を試みたが、離陸時にプロペラを地面に接触させて失敗している。そのため、主翼についている垂直安定板の下端に海軍機上作業練習機白菊の尾輪を取り付けるなどして対策された。
[編集] 機体の特徴
B-29の迎撃の切り札として、また、P-51を圧倒する性能を目的とし最大速度400ノット(約740 km/h)以上を目標とされた。
この機体は、「将来ジェット化する構想」があったという説がある。元九州飛行機設計部第1設計課副課長の清原邦武氏は航空雑誌への寄稿で昭和19年6月5日、空技廠で開かれた“試製「震電」計画要求書研究会”上かその後に「ガスタービンの使用を考慮して設計を進めよ」との空技廠発動機部からの指示を受けている[1]。搭載予定のエンジンはネ130型(推力900kg:計画値)と推測されるが(九州飛行機側への搭載エンジンの説明は無い)、「地上静止推力900kg、ほぼ3000HP相当のもので速度は420kt(780km/h)程度になるだろう」と発動機部員より聞かされていたという。清原氏は「震電の発動機配置からすれば、ジェットエンジンに換装することはそれほど難しくないように思われた。ぜひ早く実現したいものだと興奮を感じたことを覚えている」と記している。だが、日本海軍におけるタービンロケットの開発が本格化したのは1944年の春以降、戦局と燃料事情の極端な悪化による「起死回生の兵器」と認識された後、最後の訪独潜水艦が帰還してドイツのジェットエンジンの資料を入手してからであり、ネ130の開発計画はネ20の実用化に注力するために放棄されていた[2]。当時、実用に最も近かったネ20(推力475kg)でも推力が圧倒的に足りない上に、1号機の完成は昭和20年6月であり、設計者の鶴野正敬技術少佐自身がジェット化は考えていなかったとの関係者の話もあるため、震電のジェット化構想自体が空技廠の思いつきの範囲を超えるものではなかった。
なおアメリカ軍が大戦末期に部隊配備したP-80は震電と重量はほぼ同等でありながらアリソンJ33-A-17の推力は2tもあって最高速度は966km/hを発揮しており、仮にジェット化して、なおかつネ130が計画通りの出力を発揮したとしても、震電は目標速度を発揮してこれらに太刀打ちすることは到底困難だった。 震電に限らず単発の前翼機はエンジンがコクピットより後方に来るため、緊急時に脱出する際にパイロットがプロペラに巻き込まれる恐れがあった。そこで本機では試作2号機からハブ内に火薬爆破式のプロペラ離脱装置を備える予定であった。
前翼型の機体形状も特徴的ではあるが、生産性を重視したことも注目に値する。以下のような工夫が見られた:
3. は彩雲に倣ったものである。彩雲は厚板を採用することで零戦の1/2以下のリベット本数で組み立てられている。
[編集] 形式
- 動力:単発、推進式(プッシャ)
- プロペラ:VDM 定速、6翅(量産型では4翅に簡略化予定)
- プロペラ直径:3.40 m
- 主翼:低翼、単葉
- 動翼:前翼型式
- 構造:全金属製、応力外皮構造、主翼・層流翼型、前翼・開閉式スロット翼
- ランディングギア:引き込み脚、前輪式
[編集] 参考文献
- 渡辺洋二『異端の空 太平洋戦争日本軍用機秘録』(文春文庫、2000年) ISBN 416724909X
- 前翼型戦闘機「震電」 p277~p331
- 碇義朗 ほか『日本の軍事テクノロジー 技術者たちの太平洋戦争』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4769823231
- 碇義朗「究極のレシプロ機「震電」開発物語」 p7~p36
- 野原茂『日本陸海軍試作/計画機 1924~1945』(グリーンアロー出版社、1999年) ISBN 476633292X p234~p241
- 九州飛行機『試製震電計画説明書』の全文
- 松葉稔 作図・解説『航空機の原点 精密図面を読む9 日本海軍戦闘機編』(酣燈社、2005年) ISBN 4873571588 p132~p139
- 鶴野正敬 写真提供、秋本実 解説「本土決戦用/異形の高速局戦「震電」全機影」
- 潮書房『丸』1994年10月号 No.582 p35~p47
[編集] 登場作品
- 詳細は震電が登場する作品の一覧を参照
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 清原邦武「九州飛行機が作った前翼式の快速戦闘機 18試局地戦闘機“震電”」付録・海軍航空本部『試製「震電」計画要求書』(抜粋)の解説より(鳥養鶴雄 監修『知られざる軍用機開発』上巻(酣燈社、1999年) ISBN 4873570492 p51、初出:酣燈社『航空情報』1955年2月号)
- ^ 本気であればまず発動機の選定を行わねばならないが、1944年12月にネ12搭載を前提に出した「試製橘花計画要求書」を、翌45年1月にネ20搭載に改めている状況で、震電用のタービンロケットについて研究する余裕はなかった
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の戦闘機 | 大日本帝国海軍航空機