放生会
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放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や八幡社で催される。特に福岡県の筥崎宮の放生会(福岡では「ほうじょうや」と呼ぶ)は博多三大祭の1つに数えられ、他にも京都の石清水八幡宮、大分の宇佐神宮など多くの観光客を集める一大イベントとして知られている。
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[編集] 起源
仏教儀式としての放生会は、天台宗の開祖智顗が、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことに始まるとされる。「列子」に記されているこの行いは「金光明経流水長者品」によって正式に取り入れられ、寺院で行なわれる放生会の基となっている。
神道においては、676年に天武天皇より放生の勅が出され、天変地異や祭礼の際に放生を行なったことに始まり、720年(養老4年)それまでの戦において多くの兵の命を奪った罪への禊ぎとして宇佐神宮で行なわれたのが放生会の最初とされる(宇佐神宮の縁起には大和朝廷が九州平定の際に隼人を殺戮したことへの鎮魂儀式であると記されている)。石清水八幡宮では863年(貞観4年)に始まり、その後948年(天暦2年)に勅祭となった。
[編集] 各地の放生会
[編集] 仏教
[編集] 興福寺
例年4月17日。寺の南にある猿沢の池が放生池とされる。興福寺は石清水八幡宮の放生会にも参加しているが、興福寺内で行なわれる春は仏教、石清水八幡宮で行なわれる秋は神仏習合の名残としての儀式である。
[編集] 放生寺
東京早稲田にある放生寺(ほうしょうじ)は、寺号に「放生」の名を持つ。 この寺号は、開創当時より徳川将軍家より厚い崇信を受け、1649年(慶安2年)、徳川三代目将軍 徳川家光より「威盛院 光松山 放生会寺」という寺号を受けたものである。(寺紋に葵の御紋を使用することも許されている) 放生会法要は、その開創当時から行われていたと伝えられている。
現在は毎年体育の日に、日々食事で魚介、鳥、動物等の命をいただく事に感謝をする「放生供養法要」を厳修し、境内の放生池に魚を放流する。
よく放生寺でペット供養が行われているといわれているが、これは間違いである。
[編集] 神道
[編集] 宇佐神宮
正式には旧暦8月15日であるが、現在は体育の日を最終日とする3日間(土曜日~月曜日)に催される。「仲秋祭」という名に改称されているものの、マスコミや観光客に限らず氏子など関係者も「放生会」と呼んでいる。
- 神道における放生会の起源であるとされるが、その内容はいくつかの点で独特である。
- 放生会で放されるのは蜷(巻貝)である(通常は演出効果の意味もあり魚や鳥が使われる)。
- 北九州にある幾つもの神社が神幸に加わり、古宮八幡宮から御神体となる銅鏡が奉納されるなど、北部九州の神社が一体となって行なわれる。
- 10年に1度「臨時勅使奉幣祭」と重なる。次回は2015年(平成27年)。
[編集] 石清水八幡宮
例年9月15日に石清水祭の中の儀式として執り行われる。
- 宇佐神宮より八幡神を勧請したのとほぼ同時期に放生会も伝わり、948年(天暦2年)には勅祭として執り行われるようになるなど、京都の年中行事の中でも重要な祭の1つであった。しかし明治期の神仏分離によって廃れ、石清水祭として残るものの、伝統の多くが失われていった。
- 2004年、『石清水八幡宮放生大会』として有志等の手により137年ぶりに古来からの神仏習合としての儀式が復活し、かつての放生会が推測できるような形での祭が行なわれている。
[編集] 筥崎宮
例年9月12日~18日に博多三大祭の1つとして盛大に行なわれる。「ナシもカキも放生会」と言われるほど、秋の行事として親しまれている祭である。