斉藤斗志二
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斉藤 斗志二(さいとう としつぐ、1944年(昭和19年)12月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。元防衛庁長官。
[編集] プロフィール
「東海の暴れん坊」と呼ばれ、ワンマン経営で有名であった大昭和製紙の2代目社長・斉藤了英の次男として生まれた。静岡県富士市出身。祖父は大昭和製紙の創業者・斉藤知一郎、義父は元厚生大臣の増岡博之、叔父は元静岡県知事・元建設大臣の斉藤滋与史と元大昭和製紙社長の斉藤喜久蔵、弟はジーク証券の会長兼社長・日本中央競馬会馬主である斉藤四方司。
麹町中学校・武蔵高等学校を経て、1968年(昭和43年)に上智大学経済学部を卒業。1969年(昭和44年)早稲田大学理工学部研修終了。1972年(昭和47年)ワシントン大学でMBAを取得。1984年(昭和59年)には第33代日本青年会議所会頭に就任した。同会頭就任時には中曽根内閣の臨時教育審議会委員を務め、現行の小学校6年生を中学校1年生とし、早熟な今時の子どもの発育状況に合わせ、中学校の在学期間を延長し中等教育を充実させることを目的とした学制改革案5・4制を提唱した。現在も5・4制は主張し続けている。また、この頃よりロシア外交に興味を持ち、自費による映画の制作や渡航を頻繁に行なっている。1986年(昭和61年)に衆議院議員から静岡県知事に転身した叔父・滋与史の後継者として総選挙に出馬し初当選。以来、連続7期当選。1992年(平成4年)郵政政務次官就任。当時の郵政大臣は郵政民営化を掲げた小泉純一郎前総理であり、省内では反郵政民営化の政務次官として期待された。党内では田中→竹下→小渕→橋本→津島派と所属し、1993年(平成5年)羽田孜元総理・小沢一郎現民主党代表らの新生党結成による自民党議員の大量離党行動には参加せず党内にとどまった数少ない自民党生え抜き議員の一人である。近年はその言動・行動に軽さが目立つため、生え抜き議員としての存在をいかせていない。2000年(平成12年)12月5日第2時森改造内閣の防衛庁長官として初入閣。1997年(平成9年)衆議院商工委員長、1999年(平成11年)衆議院地方行政委員長、2003年(平成15年)には衆議院イラク復興支援特別委員長(自衛隊イラク派遣を議決)を歴任。近年は議員立法による文化芸術振興基本法を成立に導くなど、文化芸術・文部科学関係に力を入れている。選挙区は、静岡5区。
現在は衆議院予算委員会理事、ボーイスカウト振興国会議員連盟会長、映画議員連盟事務局長などを歴任。
[編集] 外部リンク
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