新垣勉 (歌手)
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新垣 勉(あらがき つとむ、1952年11月6日 - )は、沖縄県出身のテノール歌手、牧師。
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[編集] 概要
1952年、沖縄県読谷村に、在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人と日本人の母との間に生まれる。
出生時に助産師が誤って劇薬を点眼したため、全盲となる。
又、1歳の時に両親が離婚し、父親は帰国。母親は再婚したため、母方の祖母に育てられる。
その際、祖母は母親、母親は姉と言い聞かされながら育てられた。
自らの境遇を絶望し「将来は両親と助産師を殺害して自分も死ぬ」と考え、
井戸へ飛び込み自殺を図ろうとするが友人に助けられ、未遂となるなどの少年時代を過ごした。
14才で祖母を亡くし、天涯孤独の身となる。
しかし、ラジオから流れてきた賛美歌をきっかけに声楽家と牧師になる事を目指す様になり、
東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部専攻科を卒業し、
日本バプテスト連盟系教会の副牧師になる。
また、当時は聖歌隊としての奉仕も活発に行なっていた。
西南学院大学在学中にボイストレーナーのアンドレア・バランドーニに
「君の声は日本人にはないラテン系の素晴らしい響きをしている」と激賞された。
その際自分の出生について語ると、
「辛い体験だったと思うが、同時にそれはプレゼントであり、感謝すべきものでもあるのだよ」と言われ、
その言葉で両親や助産師を恨む気持ちが癒えたという。
聖歌隊での実績を元に本格的に歌手活動をしたいと考え売り込みを始めるが、
売り込み先から「音大も出てないのに声楽家を目指すとはおこがましい」と馬鹿にされ、屈辱を受ける。
しかし音楽への思いを貫き34歳で武蔵野音楽大学に入学、39歳で大学院修士課程修了。
チャリティーコンサートなどで歌を披露するようになる。
2001年、寺島尚彦作詞·作曲の『さとうきび畑』で初のCDを発売した。
現在、各地でコンサート活動等を行なっており、澄んだ歌声と逆境を乗り越えた半生、
「私は体が楽器みたいなものです。名前が”アラガッキ”というくらいですから」など
駄洒落も含むユーモアに富んだ語り口などが人々の共感を呼んでいる。
スマップの大ヒット曲「世界に一つだけの花」の一節、
「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」
この言葉、元々は彼が語り続けてきたこと。
このことは、あまりに有名。
彼の半生は東京書籍から発行されている、中学2年生用英語教科書「NEW HORIZON」で教材となっている。
[編集] 主な作品
[編集] シングル
- さとうきび畑(2002年5月22日発売)
- 2001年発売のアルバムからのリカットシングル。
- 母三章(2003年5月21日発売)
- 青い空は(2003年8月6日発売)
- 千の風になって(2004年9月22日発売)
- 青い空っていいな(2005年3月2日発売)
- 白百合の花が咲く頃(2005年7月21日発売)
- 宮沢和史作詞・作曲
- 還ろう、あの日の森へ。(2006年6月21日発売)
[編集] アルバム
- さとうきび畑(2001年7月25日発売)
- 出逢い~我が心の歌~(2002年11月21日発売)
- 願い~愛と平和の歌(2003年11月21日発売)
- 新垣勉 武道館ライヴ-チャリティー・コンサート「願い~愛と平和の歌」(2004年9月22日発売)
- 命どぅ宝~沖縄の心 平和の祈り(2005年7月21日発売)
- 日本を歌う(2006年12月6日発売)
- 魂の歌 ― 新垣 勉ベスト・コレクション(2007年3月21日発売予定)