日産・VRH35
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
VRH35は、日産自動車がル・マン24時間レースでの総合優勝やグループC規定で行われていた世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)での制覇を狙って、1989年に林義正らによって新開発されたエンジンである。
1990年には、排気量の変更やいくつかの改良を施してVRH35Zへと進化し、日産の90年ル・マン24時間ポールポジション獲得に貢献した。このときのエンジン出力は1200馬力以上(ベンチで測定ができないほどの馬力で、理論上これぐらい出ているという話)とも言われた。
目次 |
[編集] 耐久レース用エンジン本格開発へ
1987年、日産はR382用エンジン以来のレース専用エンジンVEJ30を開発する。エンジンの完成発表会ではすばらしいスペックを公表していたのだが、馬力・トルク・燃費などの数値は卓上の理論に過ぎず、中身の機構も複雑で壊れる可能性が高くなっており、耐久レースで戦えるようなまともなスペックのエンジンではなかった。しかし、日産が本気で耐久レースに挑戦しようとしたという意味ではすばらしいエンジンであるともいえる。
その後VEJ30はを搭載したマシンが全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦したのだが、そのレース結果は散々なものであったことは言うまでもない。その後NISMOスタッフの手により様々な改良を受けたが、その結果として、常用回転域が狭く、とても扱いづらいピーキーな特性のエンジンとなってしまった。
翌1988年、VEJ30は林義正の手により様々な改良を受けてVRH30へと進化し、R88Cに搭載されレースへと投入された。また、1988年からはVRH35の新規開発がスタートした。
また、VRH30の改良型として88年のJSPCのシーズン終わりごろに3.4リッターまで排気量をあげたエンジンを製作したが、上司にうるさく言われたためそのことは伏せられていたそうだ。
[編集] 世界選手権本格挑戦へ
1989年、VRH35は完成し、R89Cという名のマシンに搭載されて、JSPC、WSPC、ル・マン24時間等へ投入された。またエンジン変更とともに、それまで使われていた市販のマーチ製アルミモノコックシャシから専用に新開発されたローラ製カーボンモノコックシャシへと変更された。このマシンの特徴はエンジン本体をストレスマウント(剛性部材)化して利用するというものであった。当時はF1などのフォーミュラマシンではよく使われている手法であったのだが、プロトタイプマシンではその手法はほとんどとられていなかった。これはローラのエリック・ブロードレーによる提案によるもので、林義正はその提案に対してプロトタイプカーはフォーミュラーに比べて車重も重く、24時間レースなどを戦う上でエンジンへダメージを与える可能性が高く、その手法をとるのは好ましくないと思っていたのだが、最終的にはその意向に従う形となった。
ちなみに、1989年のル・マン24時間へ投入されたエンジンは、上司の干渉によって林義正が考えていたボア×ストロークにすることが出来なかった。その後、VRH35Zになったときに林義正が予定していたボア×ストロークとなった。
[編集] ル・マン24時間挑戦と挫折
日産は1990年にル・マン完全制覇のために、10台ものマシンをル・マン24時間に送り込み、そして1200馬力以上(レブ9500rpm、ブースト2.0bar)の出力を誇る予選用スペシャルエンジンも用意した。これは当時、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)の監督をしていた生沢徹から林義正に対して依頼があり製作された。しかし、準備期間の不足などにより1基しか準備出来なかった。林義正はこれをNISMOのマシーンに積み、星野一義の予選スーパーラップ用として使って欲しいと考えていたようだ。というのも当時、日本に出稼ぎに来ていた外人レーサーの間では星野はある意味、伝説的な存在となったいた。「日本にはホシノというとんでもなく速いオヤジがいる」と彼等は言っていたと伝えられている。その星野にこのエンジンでポールポジションを取らせれば「伝説の日本人レーサーがルマンで牙を向いた」と最高の演出になると考えられた。そこでまずはNISMOの一部に使用の希望を聞いたのだが彼等はその意味を理解せず、希望もしなかった。また、アメリカから参戦したエレクトラモーティブのドン・デベンドーフにも存在が伝えられた。ドン・デベンドーフも「教えてくれてありがとう。しかしうちはスペアカーもないし、必要ないよ」と言ったと伝えられている。こうして1基だけ用意された予選用スペシャルスペックのVRH35Zは、実際に同エンジンを使用したニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)チーム以外にその存在がほとんど秘密になっていたため、日産のチーム間の不協和音は増すことになる。結果的に日産勢は、予選2日目はマーク・ブランデルらが乗る3号車のR90CKが前日を6秒も上回る3分27秒02で日本車初のポールを獲得し、決勝では深夜から朝まで首位を快走するも、ミッショントラブルや燃料タンクからのガソリン漏れ、さらにはショックアブソーバーが根元から折れると言う珍しいトラブルも発生し次々と脱落する予想外の展開に。結果NISMOから参戦した日本人トリオ(星野一義・長谷見昌弘・鈴木利男)による総合5位獲得(当時日本車、日本人史上過去最高)にとどまった。
[編集] 国内選手権での活躍とデイトナ制覇
VRH35Zはル・マン24時間やWSPC以外に、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)で活躍し、1990年から1992年にかけてチャンピオン獲得に貢献。1992年にはなんと6戦全勝という輝かしい成績を残した。またVRH35Zは国際レースでも活躍し、1992年のデイトナ24時間レースではR91CPに搭載され(92年だがR92CPでない)、総合優勝を飾る。しかし、JSPCは1992年限りで消滅し、1993年の鈴鹿1000kmを最後にVRH35Zは使われなくなった。
[編集] JSPC最後の年
1992年はJSPCが最後の年ということもあり、どこまで予選用エンジンの馬力を上げられるかという挑戦が行われた。それまでVRH35を用いた予選では1000馬力程度の出力で行っていたところを、1400馬力以上(ベンチ測定において計りきれない馬力であった)の出力を出して予選を行った。このエンジンを用いて、旧富士スピードウェイにて予選を行った際、超ハイグリップな予選用タイヤであるQタイヤを履いた状態でも最終コーナーでホイルスピンを起こし、ブラックマークをつけていたそうだ。
また、当時NISMOの監督を務めていたた水野和敏によれば、ドライバビリティを重視し(主に富士のBコーナーの立ち上がりでドライバーが安心してアクセルを踏めるようにすることが目的だったという)、決勝でのエンジン出力は発表当初の900馬力より少ない状態にし、1991年仕様で約600馬力、1992年仕様で約720馬力程度に抑えられていたとのことである。
92年仕様の予選エンジンを搭載した日産・R92CPが、旧富士スピードウェイにおいてスピードガン測定で時速400km以上を記録しており、その事実は林・水野ら複数の関係者が認めており、ほぼ事実と判断してよいだろう。
[編集] 再びル・マンへ
その後、日産は1995年・96年と再びル・マン24時間にスカイラインGT-Rで挑戦したが、その他のマシンに対して明らかなポテンシャル不足で惨敗。そこで、日産はトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)の協力のもと、新たなGTマシンであるR390の開発に着手。その心臓部としてVRH35が選ばれ、VRH35Lとして再びル・マンの桧舞台へ登場する。しかし、実態は若干の変更のみで、グループC時代に使われていたエンジンにただリストリクターをつけただけのものであった。
1997年は、予備予選でトップタイムをたたき出すほどのマシンポテンシャルを見せ付けるのだが、その後、レギュレーション解釈の違いによってトランク部の改造を余儀なくされ、ミッションの冷却がうまくいかなくなり、ミッショントラブルが続出してしまい、不本意な結果となる。翌1998年は、他のマシンに対して明らかなポテンシャル不足で一発の速さが不足していた。それでも手堅いマシン作りで信頼性に優れ、着実に24時間走りきり、日本人トリオ(星野一義・鈴木亜久里・影山正彦)の手によって総合3位(当時日本人トリオでのル・マン最高位。翌1999年にトヨタGT-One TS020で片山右京・土屋圭市・鈴木利男組が総合2位を獲得し、記録は塗り替えられた)を獲得した。
[編集] インディ用エンジンについて
2002年までインディ・レーシング・リーグ(IRL)へVRH35Aというエンジン名で参戦していたが(IRLにはインフィニティブランドでエンジンを供給)、これは1989年に開発されたエンジンベースではなく、1999年のル・マン24時間に参戦したR391用のエンジン・VRH50Aがベースとなったものである。
[編集] スペック
- VRH35Z
- 総排気量:3,496cc
- ボアxストローク:85×77mm
- 最大出力:800PS/7,600rpm
- 最大トルク:80Kg-m/5,600rpm
- 圧縮比:8.5
- バルブ径
- インレット:33.0mm
- エキゾースト:30.0mm
- ターボチャージャー:IHI製
- マネージメントシステム:ECCS-R-NDIS
- 重量:185kg(クラッチ及びターボ除く)
- VRH35L
- 総排気量:3,496cc
- ボアxストローク:85×77mm
- 最高出力:650PS以上/6,800rpm
- 最大トルク:72kg-m以上/4,400rpm
- 圧縮比:9.0
- ターボチャージャー:IHI製
- 乾燥重量:170kg
[編集] 搭載車両
- 日産系マシン
- その他のマシン
- 1998年 Courage C51(3ℓ化)
- 1999年 Courage C52