日静
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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日静(にちじょう、永仁6年(1298年) - 正平24年/応安2年(1369年))は、南北朝時代の日蓮宗・法華宗の僧。父は藤原北家(ほっけ)の末裔とされる上杉頼重。母は足利氏の娘。室町幕府初代将軍足利尊氏の母の上杉清子の弟にあたる。俗姓は上杉氏。字は豊龍。号は妙龍院。出身は駿河国(現在の静岡県)。六条門流の祖。
[編集] 略歴
初め治部公日位(駿河国本覚寺)につき、ついで摩訶一房日印(「鎌倉殿中問答」で全宗派論破の名僧)に師事し、日印から相模国鎌倉本勝寺・越後国三条本成寺を譲られた。師日印が鎌倉幕府(時の征夷大将軍は守邦親王、執権は北条高時)の殿中で全宗派を相手に論破勝利したことを「鎌倉殿中問答」として執筆した。1338年(暦応元年・延元3年)に上洛し、鎌倉本勝寺を京都六条堀川に移して本国寺(現在は本圀寺)と改称した。日静の弟子日伝は京都本国寺を、日陣(陣門流の祖。本禅寺系。)は越後国三条本成寺(新潟県三条市)を引き継いだ。本国寺の系統は六条門流と称され、日像が開いた妙顕寺の四条門流とともに京都における日蓮宗の2大門流を形成した。