本多正納
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本多 正納(ほんだ まさもり、文政10年2月10日(1827年3月7日) - 明治18年(1885年)11月1日)は、駿河国田中藩の第7代藩主。安房国長尾藩の初代藩主。田中藩の第5代藩主・本多正意の子。正室は松平信発の養女(秋山正光の娘)・文子。稲垣長剛の次女・鋭。官位は従五位下、紀伊守、伯耆守。
文政10年(1827年)2月10日生まれ。はじめ田中藩を継いでいたが、徳川家達の駿河入りにより慶応4年(1868年)7月13日、安房長尾に移封された。明治2年(1869年)2月、藩校の日知館を駿河から移して、藩校の拡大と藩士子弟の教育化に務めた。同年6月、版籍奉還により藩知事となる。明治3年(1870年)12月14日、養嗣子の本多正憲に家督を譲って隠居し、明治18年(1885年)11月1日、59歳で死去した。
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