東アジア反日武装戦線
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東アジア反日武装戦線(ひがし - はんにちぶそうせんせん)は、日本の極左ゲリラ。1960年代後半の黒ヘルグループに源流があり、日本国家をアジア侵略の元凶と見なし、解体することを目標とした。運動は1970年代半ばに集中し、連続企業爆破事件を引き起こした。中核派・革労協・革マル派が、党派闘争で手一杯の時期に台頭した。
特徴として、昼間は普通の会社員や喫茶店店員として働き、極秘のうちに活動するという方針を採る事で、公安の摘発を回避しようとしていた事である。自宅アパートの床下を掘って、地下爆弾製造室を作っていたメンバーもいた。しかし結局は思想や主張の内容から、監視対象とされた一名に対する捜査により、1975年5月19日、芋づる式に逮捕され壊滅する事となった。
- 一連の事件は、“狼”、“大地の牙”、“さそり”の三班に分かれて起こしている。
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[編集] 歴史
- 3月に大道寺将司、片岡利明、佐々木規夫らによって“狼”部隊が結成され、腹腹時計(兵士読本VOL1)を出版する。
- 8月15日、昭和天皇が乗車したお召し列車を、鉄橋もろとも爆破しようとした(=「虹作戦」)。しかし、決行直前に人に見られたため未遂に終わった。
- また同日韓国において、時の大統領朴正煕を暗殺しようとした事件が発生していた(文世光事件)。この事件の犯人文世光は、黒ヘルと多少の繋がりがあるとされるプロレタリア軍団傘下の高校生組織「暴力革命高校生戦線」出身であった。
- 8月30日昼過ぎ、東京・丸の内にある三菱重工業ビル(現・文部科学省ビル)1階ホールが、正面玄関前に“狼”が仕掛けた時限爆弾によって爆破された(三菱重工ビル爆破事件)。
- 10月14日、“大地の牙”によって三井物産が爆破。
- 12月23日、“さそり”によって鹿島建設が爆破。
- その後も数件の、企業をターゲットとする爆弾テロが行われた。
1975年(昭和50)5月19日に一斉逮捕されるが、“大地の牙”の斎藤和(都立大)は自殺する。同年8月に起きたクアラルンプール事件による超法規的措置により佐々木規夫が釈放され、日本赤軍に加わる。更に1977年(昭和52)9月のダッカ事件では大道寺あや子(将司の妻)と浴田由紀子(斎藤の内妻)が同様に出国した(浴田は1995年3月24日に日本赤軍の一員としてルーマニアで潜伏活動しているところを逮捕された)。
1979年11月12日に、東京地裁判決。大道寺将司、片岡利明に死刑、黒川芳正(都立大)に無期懲役、荒井まり子に懲役8年。
[編集] 後継者
連続企業爆破事件の犯人グループと直接の関係はないとされるが、1975年から1976年にかけて北海道を舞台に起きた一連の爆弾テロ事件(75年7月19日の北海道警察本部爆破事件、76年3月2日の北海道庁爆破事件など)にも「東アジア反日武装戦線」名義の犯行声明が出された。犯人とされる男(本人は一貫して無実を主張)には1983年に札幌地裁で一審死刑判決、1994年に死刑が確定している(再審請求も2007年に却下)。
また、“大地の豚”“やみのつちぐも”など類似の組織名を名乗って犯行声明が出される爆弾テロが、1970年代後半に相次いだ。
[編集] 思想の特性
1970年代以後、日本の多くの新左翼組織は、自分達が大衆から遊離してしまっていることを直視せずに御都合主義的な「状勢分析」を行い、それに基づいて空想的ながらも自分達なりに筋道を立てた「日本に革命を起こす」ための青写真に沿って活動していた。
それに対して反日武装戦線など黒ヘルグループ系の組織は、活動の遠大な目標はあっても実現のための具体的なプロトコールを持たず、自分達の正義感に基づいて場当たり的に「悪者に落とし前を着ける」ような形のテロを行い、また大衆の支持の有無を必ずしも意に介さない傾向にあった。
(『腹腹時計』では一般大衆を「日帝本国人」と規定し、弱者のために闘うことに目覚めていない大衆は「日帝」の成員として打倒すべき対象とされていた。但し(やむを得ず巻き添えにしてしまうことは是認するにしても)大衆に無差別テロを行うことは本意ではなく、大勢の死傷者を出した三菱重工爆破事件でも、避難を促すべく事前に爆破予告電話を掛けている。)