松尾鉱山
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松尾鉱山(まつおこうざん)とは、岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市)に存在した硫黄鉱山である。
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[編集] 歴史
1882年に自然硫黄の露頭が発見され開発が始まる。一時は、日本の硫黄生産の3割を占めるなど東洋一の産出量を誇った。高度成長期になると硫黄の需要減や輸入の増加で採算が悪化していった。さらに1960年代後半、石油精製工場において脱硫装置の設置が義務付けられたことで、脱硫の際に副生成物として得られる硫黄の生産が活発化し、硫黄鉱石の需要は完全になくなっていった。生産コストの低減を図るために露天掘りへの転換も進められたが、1969年に半ば強制的に閉山に追い込まれた。
[編集] 中和施設
廃鉱から流出する排水(鉱毒水)はヒ素を含むpH2前後の強酸性となっており、また、毎分24トンと多量なため下流の北上川の水質や生態系に影響を与えることから中和施設が建設された。2007年現在も24時間体勢で稼働を続けているが、年間6億数千万円という処理費用は岩手県にとって大きな負担となっている。かといって処理を止めてしまえば岩手県下の北上川流域・支流はもとより、宮城県北部、北東北の太平洋沿岸に多大な影響を与える事は言うまでもない。
見学者コースは(一般向けには)特段用意されていないが、岩手県下の小・中学校では社会科と理科の統合授業として見学を行う学校もある。
恒久排水路トンネルの先端部には鉱毒水確認用の窓があり、(見学者向けには特別に)水を汲み飲む事ができる。鉱毒水は非常に澄んでおり、ミネラルウォーターと見違えるようであるが、口に含むと鉄臭さが広がる。それは血液のそれに近いか、それ以上のものがある。処理前の鉱毒水に含まれるヒ素だけで致死量に至るには到底考えられないような量(100リットル単位)を飲む事になるが、毎分20数トンという湧出量を考えると、環境に与える影響がいかに大きかが計り知れる。
[編集] 都市の形成
鉱山周辺は標高1,000mを超える山間僻地という条件であり、太平洋戦争後は労働者の確保を図るために家族も含めた福利厚生施設の充実は急務とされた。このため公団住宅が一般化する前から、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅や小・中学校、病院、活躍している芸能人を招いて公演を催す会館など、当時の日本における最先端の施設で近代的な都市が形成されていたことでも知られ、雲上の楽園とも呼ばれた。閉山の翌年の1970年には住民が退去し、現在はそれらの建物が山中に廃墟として残っている。
[編集] オカルトスポット
松尾鉱山はたびたび心霊スポットとしてテレビでも紹介されている。おもに廃墟となったアパート群がその対象である。
また、前出の恒久排水路トンネルは坑道をコンクリートで封鎖した構造の為、処理施設の稼動当初からは落盤事故等で亡くなった方の遺骨や坑道内に忘れた道具等が流れてくることが度々あったらしいが、近年では殆ど見られないらしい。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 旧松尾鉱山坑廃水の中和処理を考える 中和処理に関する化学式等がある。