松平信志
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松平 信志(まつだいら のぶゆき、天明5年7月30日(1785年9月3日) - 文化13年4月15日(1816年5月11日))は、丹波亀山藩の第5代藩主。分家の松平庸孝の長男。正室は松平定信の養女(加藤泰候の娘)。子に信豪、信賢、娘(飛鳥井雅久室)、娘(井伊直経室)。官位は従五位下、紀伊守。
天明5年(1785年)7月31日生まれ。幼名は喜内、又七郎。享和2年(1802年)、先代藩主の松平信彰が若死にしたため、その養嗣子として後を継いだ。同年12月に叙任する。文化13年(1816年)4月15日(4月18日とも)に32歳で死去し、後を子の松平信豪が継いだ。法号:浄徳院殿麗誉殊特無称大居士。墓所:京都府亀岡市の光忠寺。
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