松平忠暁
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松平 忠暁(まつだいら ただあきら)は、江戸時代の大名。陸奥桑折藩の第2代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄4年(1691年) | |||
死没 | 享保21年2月14日(1736年3月25日) | |||
官位 | 従五位下、玄蕃頭 | |||
藩 | 陸奥桑折藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:松平乗春、母:奥平昌能の娘 養父:松平忠尚 |
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妻 | 正室:黒田直邦の娘 | |||
子 | 庶子:松平忠恒、 娘:(毛利高能、のち堀田正実の正室) 娘:(稲垣定計の正室)、娘:(高木正恒の正室) |
元禄4年(1691年)、初代藩主・忠尚の弟・乗春の五男として生まれる。正徳2年(1712年)12月、忠尚の養子となる。享保4年(1719年)11月2日に忠尚が隠居したため、その後を継いだ。享保9年(1724年)3月に奏者番となり、享保17年(1732年)8月に寺社奉行になるなど、享保の改革期の幕政に参与している。享保21年(1736年)2月14日に死去。享年46。墓所は東京都墨田区向島の弘福寺。
後を庶子の忠恒が継いだ。
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