松平慶民
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松平 慶民(まつだいら よしたみ、1882年3月13日-1948年7月18日)は、大正・昭和期の宮内官僚。最後の宮内大臣で初代宮内府長官。元越前藩主松平慶永の末子。
1896年より12年間にわたってイギリスにて留学生活を送る。1908年にオックスフォード大学を卒業して帰国した。この間、1906年に父の明治維新における功労によって子爵に叙せられる。
1912年に侍従に就いて以来、一貫して宮内省に属し、1934年に式部長官に任じられた。戦後、1946年に宮内大臣に任じられ、翌年の宮内府の移行とともにその初代長官となった。
宮内省では珍しい外国通として知られ、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のヨーロッパ訪問やその弟の秩父宮雍仁親王のイギリス留学の実現、戦後のGHQとの交渉に手腕を発揮した。また、宮内省幹部として問題が発生すれば、皇族・華族であろうとも厳しく問責したために「昭和の殿様」と呼ばれて恐れられたと言う。
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