松平直之 (糸魚川藩主)
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松平 直之(まつだいら なおゆき)は、江戸時代の大名。越後糸魚川藩の初代藩主。福井藩越前松平家分家3代。
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時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 天和2年4月26日(1682年6月2日) | |||
死没 | 享保3年10月6日(1718年10月29日) | |||
別名 | 勝十郎(幼名)、図書(通称) | |||
戒名 | 泰亮院 | |||
官位 | 従五位下、信濃守、近江守 | |||
藩 | 越後糸魚川藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:越前松平近時、母:大竹氏、養父:越前松平直知 | |||
兄弟 | 越前松平近朝、松平直之、越前松平近明 | |||
妻 | 正室:亀姫(越前松平直堅の娘、直知の妹(養女)) 継室:内田正衆の娘 |
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子 | 養子:越前松平直好 |
[編集] 略歴
天和2年(1682年)4月26日、松江藩支流の出雲国広瀬藩主・松平近時の三男として生まれる。宝永元年(1704年)に直知が嗣子無くして若死にしたため、その妹(養女)である亀姫の婿養子として直之が後を継ぐこととなったのである。宝永2年(1705年)1月に将軍・徳川綱吉と謁見して3月には従五位下、信濃守に任じられた。宝永3年(1706年)には近江守となる。享保元年(1716年)8月には竹橋御門番を努め、享保2年(1717年)2月16日には先祖の功績などを評価されて、知行地のない1万俵支給から初代糸魚川藩主(石高1万石)となった。しかし享保3年(1718年)10月6日に37歳で死去。後を養嗣子の直好が継いだ。
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