林義一
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林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - )は、昭和中期から後期(1940年代後半~1980年代前半)のプロ野球選手(投手)・プロ野球監督・プロ野球コーチ。
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[編集] 来歴・人物
徳島県出身。徳島県立徳島商業高等学校、明治大学、全徳島を経て、1949年、大映に入団。1957年、阪急に移籍したが、1958年に現役引退。その後は近鉄の投手コーチ・代理監督、国鉄・サンケイの監督、阪神の投手コーチ、西武の投手コーチなどを歴任した。阪神投手コーチ時代にはまだ変化球を投げられなかった新人投手・江夏豊にカーブを伝授したほか、学生時代に砲丸投げをしていた影響で「担ぎ投げ」であった江夏のピッチングフォームを改良したことなどから、「江夏の育ての親」としても知られる。
[編集] 通算成績
[編集] 監督通算成績
- 235試合 90勝 136敗 9分 勝率.398
[編集] タイトル・表彰
- ノーヒットノーラン(1952年4月27日。対阪急)…パシフィック・リーグ初のノーヒットノーラン。
[編集] 関連項目
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- ※カッコ内は監督在任期間。
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