横須賀線電車爆破事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横須賀線電車爆破事件(よこすかせんでんしゃばくはじけん)とは、1968年に国鉄(現在のJR東日本)横須賀線で発生した多数の死傷者を出した爆弾事件である。なお、当時は列車に対する爆弾事件が続発しており、世間が騒然としていた。ちなみに事件名を別名「警察庁広域重要指定事件107号」というが、単一の事件で広域指定された唯一の事例である。
目次 |
[編集] 事件の概要
1968年(昭和43年)6月16日午後3時ごろ、横須賀線上り列車が大船駅手前に差し掛かったところで、突然前から6両目の網棚におかれていた荷物が爆発した。同列車の乗客の中から即死者1名、重軽傷者14名を出す惨事になった。当日は日曜日であり、行楽帰りの乗客が多かった。
[編集] 犯人像
1968年11月9日に、容疑者として東京都日野市在住の大工で、犯行当時25歳の男性が逮捕された。動機として、結婚まで約束したのに破局した元恋人に対するうっ憤を晴らすために、元恋人が上京時に利用していた横須賀線の電車に、時限起爆装置付き爆弾を仕掛けたものであった。1審、2審とも死刑判決を受け、最高裁でも上告を棄却され、1975年12月5日に死刑が執行された。
彼は獄中でキリスト教の洗礼を受けたり、「純多摩良樹」のペンネームで短歌を投稿するなどしている。 短歌は同じ東京拘置所内の死刑囚からの影響を強く受けており、また牟礼事件の死刑囚(現在も冤罪が否定できない)が、支援者たちによって歌集を数冊出していたことから、生前に歌集を出版することを強く希望していたが、とうとう実現しなかった。「冤罪を訴える死刑囚には、支援者が出版に向けて奔走してくれるが、冤罪の疑いがまったくない自分には誰も奔走してくれない」と自分の支援者に嘆いたこともあった。
死後、ようやく歌集が出版された。生前、残り少ない時間の中で一人でも多くの人間に改心した自分を知ってもらいたいと出版を熱望した犯人と、遺族の気持ちを考えるとまだ出版は早いと主張した支援者たち、双方の気持ちは最後まで平行線のままであったが、1995年ようやく彼らの願いがひとつとなり、歌集が出版された。
[編集] 参考文献
- 加賀乙彦 『死刑囚の記録』 中央公論新社(中公新書)、1980年、194頁-203頁。
- 純多摩良樹 『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 短歌新聞社、1995年。ISBN 4-803-90803-6