民主正義党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
民主正義党 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 민주정의당 |
漢字: | 民主正義黨 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名): |
ミンジュジョンウィダン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | Democratic Justice Party |
民主正義党(みんしゅせいぎとう)は、大韓民国の政党で、全斗煥政権の与党。1980年結成。略称は「民正党」。
党名は、「社会正義を具現する」との全斗煥の考えを反映している。この「社会正義」の実践として、全斗煥の政権掌握直後には、多数のやくざ者やホームレス、非行少年が強制収容所に送られた。
政策は抑圧的であった。夜間外出禁止令の解除や、中学校・高等学校の制服廃止などで、自由化ポーズを示した。しかし、夜9時からのKBSニュースでは必ず全斗煥の動静をトップで報道させ、全斗煥に似たコメディアンのテレビ出演を禁止し、反体制政治家・学生運動家は容赦なく厳罰に処した。他党にも政権担当の道は開いていたものの、選挙制度が極めて与党に有利であり、選挙結果は必ずしも民意を反映していなかった。学生運動家からは、「殺人政党」と非難された。
1980年代を通じた韓国の政権政党でありながらも、盧泰愚政権への移行する際に出た1987年の民主化宣言の後は穏健化した。社会民主主義政党の積極的な育成にも言及したことがある。
1990年1月30日、統一民主党・新民主共和党と合同し、民主自由党となった。金泳三へと政権を移譲するための合同とみなされたが、実際には合同後に激しい権力闘争が繰り広げられた。結果的には金泳三が民主自由党を代表する大統領候補となり、金大中と対決した。
カテゴリ: 政治関連のスタブ項目 | 韓国の政党