朝鮮王朝実録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝鮮王朝実録 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 조선왕조실록 |
漢字: | 朝鮮王朝實錄 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
ちょうせんおうちょうじつろく |
片仮名: (現地語読み仮名): |
チョソンワンジョシルロク |
ラテン文字転写: | Annals of Joseon Dynasty |
{{{alphabet-type}}}: | {{{alphabet}}} |
朝鮮王朝実録(ちょうせんおうちょうじつろく)は李氏朝鮮の初代太祖の時から哲宗に至るまで25代472年間の歴史的事実を編年体で編纂した漢文記録。1893巻。日本、北朝鮮では李朝実録と呼ぶことが多い。高宗と純宗の実録は朝鮮総督府によって編集されたため、韓国では実録に含めない。
李氏朝鮮時代の政治、外交、軍事、経済など各方面の史料を記載しているといわれる。朝鮮史研究の基礎史料であり、中国史や日本史においても、史実の相関関係を参照するための貴重な資料となりうる物である。1997年にはユネスコの世界の記憶(Memory of the World)計画に登録された。
目次 |
[編集] 実録の編纂
李氏朝鮮では高麗王朝の伝統を受け、春秋館及び芸文館を常設して時政を記録した。その筆法は朝鮮の歴史記録の伝統により、時の国王の介入を許さない厳格なものであったと伝えられる。
1413年に太祖実録15巻を編纂したのを始め、歴代国王の実録を編修し、文禄・慶長の役以前までは実録をソウルの春秋館及び忠州、星州、全州の史庫に各1部ずつ保管していた。各地に保管された実録は豊臣軍による文禄・慶長の役の際に多くが失われたと聴聞されているが、全州史庫の実録だけは内藏山に移して後世に伝えられたようである。1603年(宣祖36年)実録の再刊行が行われ、太祖から明宗までの13代の実録、804巻を3部ずつ刊行した。この時に印刷した3部と全州史庫にあった原本、再出版の時の校訂本など5部の実録を、1部は以前のように春秋館に置いて、他の4部は江華島の摩尼山、太白山、妙香山、五台山に史庫を新設して1部ずつ分けて保管するようになった。以後、妙香山史庫は茂朱の赤裳山に、摩尼山史庫は江華島に鼎足山史庫を新たに作って移管している。
大韓帝国は1905年、春秋館本を奎章閣に移管し、地方所在の実録もその管轄下に置いたが、1910年の韓国併合によって奎章閣は廃止され、その図書は朝鮮総督府に集められた。1911年には太白山史庫本と江華島史庫本も総督府に集められ、赤裳山史庫の実録は藏書閣に移管された。この時、五台山史庫本は東京帝国大学に寄贈されたが、1923年の関東大震災のため不幸にも殆ど燃失している。1930年に鼎足山本と太白山本は奎章閣図書とともに京城帝国大学に移され、第二次世界大戦後ソウル大学校・図書館に所蔵された。
2006年、東京大学は五台山史庫本47冊をマイクロフィルムに収録し、原本をソウル大学校・奎章閣に寄贈(ソウル大は還収と呼ぶ)した。
[編集] 現在
蔵書閣にあった赤裳山本は朝鮮戦争の時に北朝鮮側に移され、金日成総合大学図書館に所蔵されているといわれる。鼎足山史庫の実録は,現在,ソウル大学中央図書館に保管され、太白山本が総務処政府記録保存所釜山支所(釜山広域市蓮堤区巨堤洞)で保管されている。
[編集] 復刻と翻訳
1968年に大韓民国国史編纂委員会が復刻本を刊行し、日本でも学習院大学東洋文化研究所が1953年から1967年にかけて高宗実録、純宗実録を含む朝鮮王朝実録全56冊を刊行した。学習院大学本は現在でも販売されている。また近年、ソウルシステム社から朝鮮王朝実録CD-ROM版を発売している。北朝鮮では1980年代に(全400巻)、韓国でも1994年に朝鮮語訳がそれぞれ刊行された。 その後、国史編纂委員会が著作権を買い2005年12月22日よりインターネットにおいて無料で読むことができるサービスが始まった。