浮島の森
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浮島の森(うきじまのもり)とは、新宮藺沢浮島植物群落として1927年(昭和2年)に国の天然記念物に指定された植物群落。植物群落の全体が、沼池に浮かぶ泥炭でできた島(東西85m、南北60m、面積4961m²)の上にあることから、こう呼ばれる。
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[編集] 概要
[編集] 浮島の形成
和歌山県新宮市にある日本最大の浮島である。島全体と島が浮かぶ沼池の底が植物遺体に由来する泥炭で出来ており、島状の部分では30~60cm、沼底部では少なくとも300cmの厚みがあることが確認されている。
縄文時代には、海岸線が現在の新宮市街に大きく侵入しており、中心市街全体が入江状の湾になっていた。縄文時代の終わりから、海岸線が後退をはじめるとともに、沼沢地が形成され、さらにその後の地形の変化によって、段丘や自然堤防に囲まれて孤立・残存したのが、浮島の沼である。
この沼で、冷涼かつ豊富な湧水のために、沼内で枯死した植物の遺体は腐敗することなく泥炭状に変化し、さらにそれらがマット状の形を成したことで現在の浮島が出来上がった。泥炭の蓄積速度から推測されるところによれば、現在とほぼ同じものが成立したのは18世紀前半と考えられている。また、往時は神倉聖(熊野速玉大社など新宮一帯の社寺の運営にあたった修験者集団)の聖地として島に足を踏み入れるものがいなかったと言われている。
こうした材質のために、浮島はその名の通りに水に浮かび、1945年(昭和20年)頃までは、台風や荒天などで大風が吹いたり、島の地表で強く足踏みするなどすると、島全体が揺れ動いたという。
[編集] 浮島の植物群落
この浮島で注目すべきは、島の植物群落である。島内には、130種もの植物が存在し、樹木の種類こそ当地の平均的なものと変わらないものの、本来はより寒冷な土地にしか生育しないヤマドリゼンマイと、暖地の植物であるテツホシダが同時に見られるなど、寒地暖地両方の植物が混在するだけでなく、温暖な南国のそれも都市の真っ只中に高原性の植物まで見られるという、植物学的に極めて珍しい混成群落をなしている。
こうした貴重な自然が保たれている浮島だが、戦後の都市化に伴う乾燥と地下水位の低下、汚水の流入による水質悪化、泥炭層の肥厚により、大きな影響を受けている。島は南・北・東で沼池の底に座礁してしまい、島全体が動く様子は確認できなくなってしまった。また、寒地・高原性の植物の減少、新芽の発芽の困難など、悪影響が著しいため、熊野川からの導水による水質の改善(1991年~)、沼沢の浚渫(1993年~1994年)、東側の岸辺を掘り下げて沼沢地を拡張する(2006年~2007年、予定)などの対策をとり、環境の復元を図る事業を市と和歌山県が共同ですすめている。
[編集] 伝説
島には「おいの伝説」と呼ばれる俗謡がのこされている。概要を記すと以下のようになる。
この島の付近に、おいのという娘が住んでいた。ある日、おいのは、父親とともに薪採りに島に渡った。昼飯時に弁当を開いた父娘だったが、箸を忘れてきたことに気がついた。おいのは、アカメガシワの枝を折りとって箸の代わりにしようと、森の奥深くに入っていったが、なかなかもどってこない。怪しんだ父親が探しに行くと、まさに娘が大蛇に飲み込まれようとしているところであり、驚き助けようとしたが、蛇の棲む底なしの井戸についに引き込まれてしまった。
浮島内には「蛇の穴」と呼ばれる沼があり、伝説の井戸であると言われている。上田秋成はこの伝説に題材をとり、「雨月物語」の一編「蛇性の婬」を著したといわれる。のちにこの作品は、谷崎潤一郎によって戯曲化された。
[編集] 所在地・交通機関
〒647-0014 和歌山県新宮市浮島
[編集] 関連項目
[編集] 周辺情報
[編集] 外部リンク
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