渡辺喜美
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生年月日 | 昭和27年(1952年)3月17日 |
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出生地 | 栃木県那須郡西那須野町 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 中央大学法学部卒業 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 大臣政務秘書官 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
内閣府特命担当大臣 |
世襲の有無 | 父 渡辺 美智雄 (元衆院議員、元外務大臣) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
栃木3区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(無派閥) |
党役職(現在) | |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館426号室 |
ウェブサイト | 渡辺喜美公式ホームページ |
渡辺 喜美(わたなべ よしみ、男性、1952年3月17日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。栃木県出身。父は、外相、蔵相、通産相、自民党政務調査会長を歴任した渡辺美智雄。
栃木県立大田原高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒業後、中央大学法学部学士入学。同校卒業。その後、1983年に父の秘書となる。父が第二次中曽根内閣の通産大臣、宮沢内閣の外務大臣に就任した際は、それぞれ大臣政務秘書官となり父を支えた。1995年9月15日に父が死去し、地盤を継承。1996年の第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で栃木3区から立候補し当選する。2000年、加藤の乱に同調するため、所属していた江藤・亀井派を退会、以来無派閥。
経済政策、特に金融、財政分野では持論を持ち、90年代後半の金融危機においては「政策新人類」の一人として注目された。父親譲りの風貌と、歯に衣着せぬ語り口で党執行部を批判することもしばしば。派閥脱会以来、政界では一匹狼的存在と目されることが多い。
平成18年(2006年)12月28日、辞任した佐田玄一郎の後任として行政改革担当大臣に就任した。行革大臣としては公務員制度改革を最大の課題と位置づけ、公務員の再就職を一元的に管理する「人材バンク」や「中央省庁幹部の1割の公募制」導入を提案し、波紋を呼んでいる。
著書
- 『反資産デフレの政治経済学-戦略型資本主義を構築するために-』東洋経済新報社 、2001年3月。
- 『日本起死回生トータルプラン』光文社、2001年6月。(共著)石原伸晃、塩崎恭久、根本匠。
- 『日本はまだまだ捨てたものじゃない-ニッポン経済最強の法則-』徳間書店、2001年7月。
- 『シナリオ 日本経済と財政の再生』日刊工業新聞社、2001年7月。(共著)伊吹文明。
外部リンク
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