渡辺朗
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渡辺 朗(わたなべ ろう、大正14年(1925年)7月23日~平成4年(1992年)2月3日)は、日本の政治家、学者。沼津市長、衆議院議員、東海大学教授を歴任する。鳥取県境港市森岡町出身。
昭和27年(1947年)東京大学文学部を卒業する。アメリカに留学後、ビルマ(ミャンマー)の首都ラングーン(ヤンゴン)に渡り、現地のアジア社会党事務局に勤務する。次いでウィーンの国際青年運動本部に移る。帰国後、民主社会党(後の民社党)の結成に参加し、昭和51年(1976年)衆議院議員総選挙に民社党から立候補し、4度目の挑戦でトップ当選を果たす。当選回数4回。民社党国際局長や衆議院沖縄・北方問題特別委員長などを務める。昭和61年(1986年)の第38回衆議院議員総選挙(衆参同時選挙)で落選する。9月沼津市長選挙に立候補し当選。平成2年(1990年)に引退する。この間、東海大学で教壇に立ち、『ナショナリズム研究』などを著す。長男は、民主党衆議院議員の渡辺周。
カテゴリ: 日本の国会議員 | 都道府県知事・市町村長 | 1925年生 | 1992年没