湘南平
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湘南平(しょうなんだいら)は神奈川県の平塚市と大磯町の境にある標高181mの丘陵で、泡垂山の山頂一帯を指す。地元ではかつて千畳敷と呼ばれていたが、公園として整備するにあたり湘南平と名付けられた。高い山ではないが相模湾を一望できる眺望は素晴らしく、桜の木も多く花見の季節は家族連れで賑わう。
平塚市の高麗山公園の一部であり、飛び地である。公園内にはハイキングコースが整備されている。そのため四季を通じて家族連れや中高年ハイカーが訪れ、近隣の小学校では格好の遠足コースとなっている。湘南平から高麗山に向かう途中には浅間山があり、浅間神社と一等三角点がある。
平らな山頂に現在はレストハウスとテレビ塔(平塚テレビジョン中継放送所)がある。このテレビ塔の金網は「南京錠に恋人同士の名前を書いて施錠して鍵を捨てる」という今ではどこでも見られる行為が始まった場所とされ、今でも多くの南京錠が付けられている。
[編集] 歴史
泡垂山の地名は曽我物語に由来し、虎御前のもとにいた兄十郎の危急を聞き曽我の里から駆けつけた弟五郎が近道をしようと馬でこの山に駆け上ったところ山頂付近で馬が泡を垂らしたところからつけられたという。またその時に馬が前足を踏ん張った場所から泉が湧きでたとされ、のちに十郎が虎女への文をこの水で墨をすりしたためたことから「十郎の硯水」として現在も湘南平の横に史跡として残っている。昭和の初期頃まで此処には茶店があったという記録もあり、昔の日本人の曽我物語好きを偲ばせる。
1941年(昭和16年)には高射砲陣地が造られた。終戦前のB29による首都圏への爆撃の時、目標にした富士山からこの上を通って東京方面に向かったB29に向かって砲撃したが届かなかったという。この高射砲陣地は米軍の爆撃の対象となり破壊され、山の北側にある古寺荘厳寺も、その巻き添えとなり焼失(現在は再建されている)した。戦後暫くは荒廃したままであったが、1957年(昭和32年)に平塚市がここを自然公園とする計画を立て、当時の市長である戸川貞雄が湘南平と命名し、整備をして現在に至っている。
[編集] アクセス
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