熱力学
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熱力学(ねつりきがく、thermodynamics)は、物理学の一分野で、熱現象を物質の巨視的性質から扱う学問。アボガドロ定数個の要素から成る物質の巨視的な性質を巨視的な物理量(エネルギー、温度、エントロピー、圧力、体積、要素数、化学ポテンシャル、など)を用いて記述する。
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[編集] 歴史
18世紀後半から19世紀にかけて蒸気機関が発明・改良されたが、これらは学問的成果を応用したものでなく専ら経験的に進められたものであった。一方この頃気体の性質が研究され、19世紀初めにはボイル=シャルルの法則(理想気体の性質)としてまとめられたが、まだ熱を物質と考える熱素説が有力であった。
1820年代になると、カルノーが熱機関の科学的研究を目的として仮想熱機関(カルノーサイクル)による研究を行い、ここに本格的な熱力学の研究が始まった。この研究結果は熱力学第二法則とエントロピー概念の重要性を示唆するものであったが、カルノーは熱素説に捉われたまま早世し、重要性が認識されるにはさらに時間がかかった。
なお同じ頃フーリエが熱伝導の研究を発表したが、これは熱力学とは直接関係なく、むしろ物理数学に顕著な成果(フーリエ変換につながる)を残すこととなった。
熱をエネルギーの一形態と考えエネルギー保存の法則(つまり熱力学第一法則)をはじめて提唱したのはマイヤーである。彼は1842年にそれを発表したが全く注目されなかった。しかしほぼ同時期にジュールが行った同様の研究はトムソン(ケルヴィン卿)の知るところとなり、彼らの共同研究から第一法則が明らかにされた。
さらにトムソンはカルノーの研究を知り、絶対温度の概念および熱力学第二法則に到達した。クラウジウスも独立に第一および第二法則に到達し、カルノーサイクルの数学的解析からエントロピー概念の重要性を明らかにした(エントロピーの命名もクラウジウスによる)。こうして1850年代には両法則が確立された。
19世紀後半になると、ヘルムホルツによって自由エネルギーが、またギブズによって化学ポテンシャルが導入され、化学平衡などを含む広い範囲の現象を熱力学で論じることが可能になった。
一方、ボルツマンやマクスウェルによって創始された統計力学が発展し、熱力学的諸概念を分子論から具体的に解釈できるようになって、熱力学と統計力学は車の両輪のようにして発展していった。
[編集] 熱力学の法則
- 熱力学第零法則
物体AとB、BとCがそれぞれ熱平衡ならば、AとCも熱平衡にある。 - 熱力学第一法則(エネルギー保存則)
系の内部エネルギーの変化dUは外界から系に入った熱δQと外界から系に対して行われた仕事δWの和に等しい。
dU = δQ + δW - 熱力学第二法則
- 熱が低温の物体から高温の物体へ自然に移動することはない。(クラウジウスの表現)
- 温度の一様なひとつの物体からとった熱を全て仕事に変換し、それ以外に何の変化も残さないことは不可能である。(トムソンの表現)
- 第二種永久機関は存在しない。
- 断熱系で状態変化が起こるとき、エントロピーは必ず増加する。可逆的な変化ではエントロピーの増加は0となる。(エントロピー増大の原理)
- 熱力学第三法則(絶対エントロピーの定義)
絶対零度でエントロピーはゼロになる。
第1、第2法則は、ルドルフ・クラウジウスによって定式化された。
[編集] より百科事典的な説明
第0法則は、温度が一意に定まることを示している。
第1法則は、閉鎖された空間では外部との物質や熱、仕事のやり取りがない限り、熱(そしてエネルギー)の総量に変化はないということを示している。
第2法則は、エネルギーを他の種類のエネルギーに変換する際、必ず一部分が熱エネルギーに変換されるということ、そして、熱エネルギーを完全に他の種類のエネルギーに変換することは不可能であるということを示している。つまり、どんな種類のエネルギーも最終的には熱エネルギーに変換され、どの種類のエネルギーにも変換できずに再利用が不可能になるということを示している。なお、エントロピーの意味は熱力学の枠内では理解しにくいが、微視的な乱雑さの尺度であるということが統計力学から明らかにされる。
第3法則は、絶対零度よりも低い温度はありえないことを示している。
[編集] 熱力学的系
熱力学的系とは考えている世界の一部である。現実あるいは仮想の境界が系と残りの世界を分離する。その残りの世界は外界と呼ばれる。熱力学的系は境界の特徴により分類される。
- 孤立系 - 外界から完全に独立した系。
- 閉鎖系 - 系と外界との間で熱の移動は許されるが、物質の移動は許されない。温室がその例である。
- 開放系 - 系と外界との間で熱と物質ともに移動が許される。
[編集] 基本法則からの発展と応用
内部エネルギーのうち仕事として取り出すことのできる分として「自由エネルギー」(条件によってギブズエネルギーあるいはヘルムホルツエネルギーを用いる)が定義される。熱力学第一法則から、
「自発的変化は自由エネルギーが減少する方向へ進む」
「自由エネルギーが一定であれば系は平衡状態にある」
ことが導かれる。このことは特に化学反応にも適用され、化学平衡定数Kは基準状態での自由エネルギー変化 ΔGと
ΔG = -RTlnK (Rは気体定数、Tは温度)
の関係にあることが示される。
なお、化学反応の時間的変化については別分野「反応速度論」として発展しているのでその項目を参照のこと。
[編集] 非平衡熱力学
以上の理論は平衡状態に近い「準静的変化」の考察に基づくものであり、変化の方向性を示すことはできるが、時間のファクターは入っておらず、具体的な変化の様子を示すにはさらなる理論的枠組が必要である。この非平衡熱力学の基本的概念は1930年代からオンサーガーやプリゴジンによって発展した。
基礎的な理論として線形非平衡熱力学がある。ここでは、「局所的平衡」(局所的には上記の平衡熱力学の理論と熱力学変数の関係式が成り立つ)を仮定する。また、時間的変化を示す「流れ」と、流れの原因となる「力」(あるポテンシャルの空間的勾配)という概念を導入する。具体的には次のようなものである:
「流れ」 ・・・・・・ 「力」の原因
電気(電荷)・・・・・・ 電位
密度(質量)・・・・・・ 圧力(物質全体)と化学ポテンシャル(各物質)
熱 ・・・・・・ 温度
ここで「力」は、流れと力の積が局所エントロピー生成(エントロピー密度の時間微分)となるようにとるものとする。すると各流れJと力Xの間には
J = L X (Lは定数)
が成り立つ。しかし上に示したような各要素の間には一般には交差があって、現象論的方程式
J1 = L11 X1 + L12 X2 + ・・・
J2 = L21 X1 + L22 X2 + ・・・
・・・
で書き表される。ここで定数Lのあいだに L12 = L21 、L13 = L31 、・・・の関係があることが統計力学的に示されている(オンサーガーの相反定理)。
なお、化学反応(流れ)と親和力(反応前後での化学ポテンシャル差)の間も上記と同様の流れ・力の関係が書けるが、これはスカラーであるため、ベクトルである上記の流れ・力とは一般には交差しない(キュリーの原理)。ただし非等方的な系ではこの限りでなく、生体膜(化学反応と物質移動の共役)や界面などの例がある。
このような流れの様子が時間変化しないのが定常状態であるが、その条件として「流れによるエントロピー生成が極小である」ということがイリヤ・プリゴジンにより示されている。
その後さらにプリゴジンの「散逸構造論」など、非線形の領域に拡張された非平衡熱力学が研究されている。
[編集] 参考文献
- 高林武彦; 熱学史 ; 海鳴社 ; ISBN 4-87525-191-2 (第2版 1999).
- 山本義隆; 熱学思想の史的展開 ; 現代数学社 ; ISBN 4-7687-0301-1 (1987).