片町駅
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片町駅(かたまちえき)は、大阪府大阪市都島区にあった駅で歴史上以下の二つがあったが今はいずれも廃止されている。また、大阪市電片町停留所も近くにあった。
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[編集] 西日本旅客鉄道(JR西日本) 片町駅
[編集] 概要
浪速鉄道の大阪方ターミナルとして建設された駅である。のち、隣接する京橋駅が城東線(現在の大阪環状線)の乗換駅として栄える反面、接続のない当駅の地位は低下した。JR東西線開業に伴い、京橋からの距離が短く(営業キロで0.5km)、利用者の少ない当駅は、JR東西線開業の前日に廃止となった。JR東西線開業と同時に、片町駅と入れ替わるようにして大阪城北詰駅が近地に開業している。
廃止後も路線名にその名を残しているが、JR西日本では片町線を愛称である「学研都市線」で案内しており、片町線の名はあまり使われない。
[編集] 駅構造
1997年3月7日の廃止時は、相対式ホーム2面2線を持つ頭端式の地上駅で、どちらのホームからも京橋、放出、四条畷、長尾、松井山手、木津方面行きの列車が発車していた。これは1991年3月から東西線工事本格化のために旧駅舎が撤去されたために作られた、簡易な駅舎・ホームであった。
1991年春頃までは、島式ホーム1面4線を持つ頭端式の地上駅、駅舎は2階建てのコンクリートモルタルづくりであった。南側の2線が島式ホームを挟んでおり、北側2線は留置線であった。片町線電車の一部は京橋駅始発・終着で運転されており、京橋止まりの電車はそのまま片町駅北側の留置線に入線して折り返していた。1980年代ごろには、日中の北側留置線には103系電車が留置されていた。1991年までの旧ホームと線路の敷地が、現在の東西線の地下線坑口からの坂道である。東西線工事に伴い1991年に旧ホームと線路を撤去し、北側の2線分の留置線に対向式ホームを設置して廃駅時まで使用した。なお、この時に京橋駅の片町寄りの部分に新たに引き上げ線を設置したが、この引き上げ線は有効長が4両分しか無く、1991年から東西線開業までの京橋始終着となる列車は4両編成に限られていた(東西線開業以前の片町線快速は全区間4両編成で運転される列車が多かったので、さほど問題がなかった)。
[編集] 歴史
- 1895年(明治28年)8月22日 - 浪速鉄道の駅として四条畷 - 片町間の開業と同時に開業。
- 1898年(明治31年)11月18日 - 旅客営業廃止。
- 1905年(明治38年)2月1日 - 旅客営業再開。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 国有化。
- 1912年(明治45年)4月21日 - 城東線京橋駅との乗換駅の便を図るため、京橋口乗降場を開設。
- 1913年(大正2年)11月15日 - 京橋口乗降場を格上げし、京橋駅として分離。こちらが城東線乗換駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となる。
- 1991年(平成3年)春頃 - JR東西線の工事開始に伴い旧駅舎と旧ホーム撤去、新駅舎に移行する。
- 1997年(平成9年)3月8日 - JR東西線の開業に伴い廃止。
[編集] 隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- 片町線
- 京橋駅 - 片町駅
[編集] その他
- 片町駅と大阪城北詰駅は近くにあり、廃止・開業日も前後しているが、駅としては別扱いであり、片町駅を起終点とする定期券や回数券は、片町駅が廃止された後は継承されなかった。
- 1998年2月に西日本ジェイアールバス京橋営業所が跡地に開設されたが、2002年に廃止されており、2006年10月現在、民間の洗車場になっている。
- 現在も京橋駅の片町線・東西線ホームの西半分は都島区片町二丁目となっている。なお、片町駅も片町二丁目に存在していたので、京橋~片町間の区間は同一町丁目に収まっていたのである。
[編集] 京阪電気鉄道 片町駅
[編集] 概要
京阪本線が、天満橋~五条間で開業した際に設置された中間駅である。当初は野田橋駅と称し、のちに片町駅と改称したが、国鉄駅とは若干離れていた。天満橋駅までの高架複々線化に伴い、配線上駅の設置が困難であり、京橋駅にも近いことから廃止となった。廃止の代償として、京橋駅西側に片町口が設置されている。
駅のあった場所は、現在の大阪城北詰駅に至近である。
[編集] 駅構造
(スタブ)