琵琶湖周航の歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
琵琶湖周航の歌(びわこしゅうこうのうた)は、歌のひとつ。作詞は小口太郎、作曲は吉田千秋。
目次 |
[編集] 歌詞
- われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
滋賀の都よ いざさらば - 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや - 波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か - 瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく - 矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと - 西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心
[編集] 概要
第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口は、1917年(大正6年)の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。周航2日目の6月28日夜、今津(現滋賀県高島市今津)の宿で部員の中安治郎が「小口がこんな歌を作った」と紹介したのが初出である。吉田が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌、学生歌として広まっていった。
加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになった。
作曲者の吉田は名前のみが知られ、素性は長年不明であったが、1993年に新潟県出身の人物で、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学者吉田東伍の次男であったことが判明した。
[編集] その他
「われはうみのこ」で始まる歌は、この歌のほかに『われは海の子』(文部省唱歌)がある。こちらは「われは海の子」である。