田中圭一
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田中 圭一(たなか けいいち、1962年5月4日 - )は、サラリーマン兼業漫画家。大阪府枚方市出身。近畿大学法学部卒業。
目次 |
[編集] 経歴
大学在学中の1983年、小池一夫劇画村塾神戸教室に第一期生として入学。翌1984年、『ミスターカワード』(「コミック劇画村塾」掲載)で漫画家デビュー。1986年開始の『ドクター秩父山』(「コミック劇画村塾」連載)で一部に人気を得る。
大学卒業後はタカラに就職。「週刊少年サンデー」にも不定期で『昆虫物語ピースケの冒険』を連載した。一時期漫画家活動を縮小していたが、タカラ退職後は精力的に漫画を発表するようになり、1996年にアートディンク入社後も二足のわらじを履き続けている。その後、セルシスを経て、2002年に株式会社ウェブテクノロジに入社し、現在は取締役 兼 企画営業グループ部長(ゲームソフト開発ツールの販売責任者)。同社ソフトのマニュアルイラストも描いている。
デビュー当時はシュールな下ネタギャグを劇画調の絵で描いていたが、不惑を前に手塚治虫の絵柄で下ネタギャグを展開する作風を確立。更に本宮ひろ志や永井豪などの絵柄を織り交ぜ、現在も下ネタ漫画で活躍中。また近年はサラリーマン経験を活かした作品が多い。
[編集] 作品リスト
- ドクター秩父山
- 昆虫物語ピースケの冒険
- つっこみドン!!
- ドクター秩父山だっ!!
- 田中圭一最低漫画全集 神罰
- 死ぬかと思ったH (林雄司との共著)
- 鬼堂龍太郎・その生き様
- メカ硬派
- ヤング田中K一
- サラリーマン田中K一がゆく!
[編集] 手塚パロディ
手塚治虫の絵柄・描き文字を習得し、小学館系の雑誌に『ティズニー部分』などを発表。1999年4月発売の「COMIC CUE Vol.SIX」手塚治虫リミックス号に手塚プロダクションの公認パロディ『神は天にいまし 世はすべてことも ないわきゃあない』(黒男と録郎、そして先生が、手塚女性キャラが登場するギャルゲーをプレイするという内容)が掲載。『田中圭一最低漫画全集 神罰』(2002年8月)の帯には手塚るみ子(治虫の長女)より「ラ○オンキングは許せても 田中圭一は 許せません!!」とシャレの効いた推薦文をもらう。
また、手塚治虫の未完作品『グリンゴ』の後日談を、手塚プロダクションの協力の下、『グリンゴ2002』として「トラウママガジン」第1号(英知出版、2002年6月)で発表している。バブル景気崩壊後の世相を反映させた非常にまじめな作品であるが、トラウママガジン自体が3号で休刊となったため世間にはほとんど認知されていない。
[編集] アートディンク時代
サラリーマンとしての田中圭一は営業畑が主であるが、アートディンク時代には以下の2つのゲームソフトのプロデュースも行っている。
- アクアノートの休日2
- 1999年7月1日に発売されたプレイステーション用ソフト。1995年に発売されたアクアノートの休日の続編。
- 建設重機喧嘩バトル ぶちギレ金剛!!
- 2000年6月1日に発売されたプレイステーション2用ソフト。同社が販売した開発ツール・ミドルウェア『Agatha』のデモンストレーション的な側面が大きい。
- キャラクターデザインは本宮ひろ志で、この作品の制作過程で田中圭一は本宮の画風を習得した。