田村秀昭
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田村 秀昭(たむら ひであき、昭和7年(1932年)9月21日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。参議院議員(3期)。国民新党副代表。
生年月日 | 昭和7年(1932年)9月21日 |
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出生地 | 東京都 |
出身校 | 京都大学大学院工学研究科博士課程修了 |
学位・資格 | 工学博士 |
前職・院外役職(現在) | 国家公務員(防衛庁) |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
参・環境委員会委員 参・拉致問題調査会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例区 |
当選回数 | 3回 |
所属党派(現在) | 国民新党 |
党役職(現在) | 副代表 |
会館部屋番号 | 参・議員会館434号室 |
ウェブサイト | 田村秀昭のHP |
目次 |
[編集] 概要
東京都に生まれる。東京都立大学附属高等学校~防衛大学校を第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院に進学する。 京都大学大学院では工学を専攻し、博士課程を修了。工学博士。
航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将)を歴任。
航空自衛隊を退官し、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙で初当選。1993年、自民党を離党し新生党の結党に参加。細川内閣では沖縄開発政務次官。翌年(1994年)の羽田孜内閣では参議院外務委員長。同年末、新進党結成に参画する。新進党で再選。1997年の新進党分裂後は、自由党の結党に参画(自由党で3選)。
2003年、自由党解党にともない、民主党に合流(参議院外交防衛委員・参議院国際問題に関する調査会委員)。
2005年8月17日、党の安全保障政策への不満から民主党を離党し国民新党の結党に参画した。民主党は新党参画行為を反党行為として除籍処分を下した。
自由党時代から支援者などからジェネラルと呼ばれている。ただし本人の前では決して呼ばない。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 昭和23年
- 3月 旧制府立高校尋常科卒業
- 昭和26年
- 3月 都立大付属高校卒業
- 昭和32年
- 3月 防衛大学卒業 (第一期生)
- 昭和39年
- 3月 京都大学大学院修了 工学博士
- 61年
- 12月 航空自衛隊 幹部学校長 (空将)
- 平成元年
- 7月 参議院議員選挙 (比例) で初当選
- 6年
- 9月 参議院外務委員長
- 7年
- 7月 参議院議員選挙にて再選 (新進党 比例代表)
- 10年
- 1月 『自由党』結成に参画
- 13年
- 7月 参議院議員選挙にて3選(自由党 比例代表)
- 15年
- 9月 『自由党』解党にともない 『民主党』との合併に参加
- 17年
- 7月 『国民新党』参画
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『米国のパワーポリティクス―国際化時代を日本はいかに生き抜くか』日新報道、1988年6月、ISBN 4817401982
- 『歴史を忘れた大人と国をなくした若者たち』楽書舘(楽書ブックス)、2002年2月、ISBN 4806115886
[編集] 外部リンク
- 田村秀昭ウェブサイト(公式サイト)
- 田村秀昭プロフィール(参議院公式サイト)