皇典講究所
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皇典講究所(こうてんこうきゅうじょ 1882年 - 1946年)は、日本に設置された神道の研究・教育機関である。
祭神論争によりその教学の未成熟さを実感した神道はその教学の深化に迫られ、1882年(明治15年)8月23日に、「専ら国典を講究するため」として研究機関を設立した。
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[編集] 概要
[編集] 設置課程(開設当初)
本科3年、予科2年
- 文学部
- 修身科
- 歴史科
- 法令科
- 文章科
- 作業部
- 礼式科
- 音楽科
- 体操科
[編集] 歴代総裁
- 1882年~1907年 有栖川宮幟仁親王
- 1908年~1908年 竹田宮恒久王
- 1908年~1924年 北白川宮成久王(竹田宮の弟)
- 1925年~1930年 久邇宮邦彦王(元帥、陸軍大将)
- 1930年~1945年 閑院宮戴仁親王(元帥、陸軍大将)
- 1945年~1946年 梨本宮守正王(久邇宮邦彦王の弟)
[編集] 歴代所長
- 1889年~1895年 山田顕義(司法大臣)
- 1896年~1909年 佐佐木高行(枢密院顧問官)
- 1910年~1910年 芳川顕正
- 1911年~1918年 鍋島直大(元佐賀藩藩主)
- 1919年~1919年 土方久元(農商務・宮内大臣)
- 1919年~1920年 小松原英太郎(元文部大臣)
- 1920年~1925年 一木喜徳郎(枢密顧問官、元文部・内務大臣)
- 1926年~1933年 江木千之(枢密顧問官、元文部大臣)
- 1933年~1933年 徳川圀順(水戸徳川家13代)
- 1933年~1946年 佐佐木行忠(佐佐木高行の孫、貴族院議員)
[編集] 沿革
- 1882年 開校。(参考:伊勢に神宮皇學館(現・皇學館大学)が設立される)
- 1885年 第1回卒業式を挙行
- 1888年 補充中学校(現・東京都立戸山高等学校)を設立
- 1889年 日本法律学校(現・日本大学)を設立。
- 1890年 國學院を設立。補充中学校を共立中学校に改称
- 1893年 國學院の第1回卒業式を挙行
- 1894年 共立中学校を城北中学校と改称し、東京府へ移管させる
- 1898年 財団法人皇典講究所として認可される
- 1899年 内務省より神職養成事業を委託される
- 1900年 禮典調査会を設置
- 1902年 師範部の学科を国語・漢文・歴史科とする
- 1904年 専門学校の認可を得る
- 1906年 私立國學院大學と改称
- 1909年 神職養成部を設置
- 1919年 道義科を設置。
- 1920年 大学令により大学へ昇格
- 1921年 大学部を廃止
- 1923年 澁谷氷川裏御料地に移転
- 1927年 専門学校令により附属神職部を設置。高等師範部を4年制として一部・二部に分置
- 1929年 神職部を神道部に改称
- 1936年 神道部を4年制とする。
- 1940年 興亜部を設置
- 1944年 神道部・高等師範部・興亜部を合併し、3年制専門部とする。國學研究所を設置
- 1946年 GHQの指導により軍国主義の温床として解散
- 1985年 日本大学・國學院大學が共同で皇典講究所跡地に発祥記念碑を建立。
- 2006年 特許庁により学校法人國學院大學の『皇典講究所』の商標登録が認可される。
[編集] 関連項目
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